あの頃を思い出していた。
 ただ只管に広がる青い空の袂で笑う、自分とあの人の笑顔を……





13〜ひととき〜





「……あれ……? ここは……」
 まだはっきりとしない意識で何とか状況を組もうとする。しかし、何も思い出せない。
 自分に一体何が起きたのだろうか?
「あ! ルリカさん、目が覚めたの?」
 一人の少女の声が耳に届いた。それが鍵となり、漸く自分何が起きたか思い出す。
 そうだ、自分はロケット団と名乗る人々に空たかくまで連れ去られ、そこから落ちたのだ。
 しかし、思い出せるのはそこまで。そこからは記憶がない。
「ハルカさん。私、どうしたのでしょうか?」
「えっと……話せば長くなるような気はするけど、実際はそこまで長くない話です。私達は誘拐されかけたんですよ。でも、シュウのポケモンたちが助けてくれました」
「そうなんですか? シュウさんのポケモンさんたちが……」
「ええ。とっても強い子達だから、本当にあっという間でしたよ。でも実は私達にっては結構日常茶飯事だったりするんですよね。ああ言う誘拐紛いの事」
 あははと何事もなかったかのようにベッドの傍らで笑うハルカ。しかし、ルリカは目を丸くして、驚きを隠せない様子。
「いつもあるようなことなんですか?」
「はい……。実はあのロケット団て人たちはサトシと因縁があるらしくて、出会ってからずっとこんな関係なんです。根は悪い人ではないと思うんですよ。助けてくれたりもしますし。でも、時々こうやってものすごく迷惑をかけるようなことをする。はっきり言って分からない人たちです」
「変わった方たちなんですね……」
「まともではないと思います。だから私はこういう事件にある程度は慣れてるんですけど、ルリカさんには刺激が強かったみたいですね。本当、巻き込んでしまってごめんなさい」
 ハルカは改めて、ルリカに深々とお辞儀をする。
 元はといえば、ロケット団の目的は自分だ。最終目的は思い出小玉だとしても、きっかけは自分。顔が似ているという理由でルリカに迷惑をかけたことには変わりない。
 落ち着かない気持ちは罪の意識以外の何ものでもなかった。
「ハルカさん、顔を上げてください。私は謝られる理由なんてありませんよ」
「そ、そんなことないです! 私がどこかで思い出小玉の情報を漏らしてしまったからこんな事態に……」
 胸に手を当てて必死に力説するハルカ。しかし、ルリカは優しい笑顔で首を横に振る。
「情報が漏れたのはハルカさんの所為だとは限りません。それに、私達二人は無傷で帰って来れました。それだけで充分じゃないですか?」
 貴女の気持ちだけで充分。もうそれ以上は責めないで。
 ルリカの表情からはそう読み取れた。
「……なんか、シュウがルリカさんを頼ったの分かる気がするかも」
「え?」
 何の前ぶりもなくハルカの口から出た言葉にルリカはきょとんとする。
「だって、ルリカさんの笑顔は安心する優しい顔だもの。そんな顔されたらシュウじゃなくて、私だって頼りたくなるわ。シュウはその場にいた『誰か』を頼ったんじゃなくて、きっとルリカさんを頼ったのね」
 今度はハルカが笑顔で答える。すると、これ以上ないくらいの笑顔でルリカも微笑んだ。
「もしそうなら、嬉しい限りですね。シュウさんが喜んでくれる顔なら」
 その言葉にハルカは少しの不安を覚えた。ほんの少し。無意識の中にだけ。
 しかし、それも次の来客で泡のように消えた。
「女性二人……だけの方が良いですか?」
 扉をノックする音と聞き覚えのある声。シュウだ。
「ルリカさん、開けて良いですよね?」
「もちろん」
 ハルカは扉に駆け寄り、シュウを中へ招き入れた。そのとき、シュウの持っていたものに目が行く。
「あれ? シュウ、その毛布何に使うの?」
「ああ、これ? ハルカが看病しながら寝てるんじゃないかと思って持ってきたんだけど、その様子じゃいらないよね」
 折りたたまれた茶色い毛布にはそんな意味があったのかとハルカは驚く。
「気持ちだけ貰っておくわ。ありがとうシュウ」
「いいえ。あ、ルリカさん大丈夫ですか?」
「ありがとうございます。見た目どおり大丈夫です。改めてお二人とも、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「る、ルリカさんが謝ることなんて何にもないかも!」
「そうですよ。事が無事に終わったんです。もう誰が悪いとかないですよ」
 ベッドに駆け寄った二人は慌ててルリカにフォローをいれる。
 その様子を見て、ルリカは嬉しそうに笑った。
「お二人とも、本当にお優しいですね」
「え? わ、私よりルリカさんの方がとっても優しいかも! ね、シュウ!」
「………」
「シュウ?」
 口元に手を当て、考え込むシュウにハルカは眉間にしわを寄せる。
「ど、どうしたの? 頭でも痛い?」
「いや、ルリカさんにはルリカさんなりの優しさがあって、ハルカにはハルカなりの優しさがある。だから僕にとっては二人とも優しい対称なんだ。だからハルカが優しくないなんて言えない。と思って」
 この言葉に何より驚いたのはハルカだった。
 あのシュウが自分という、ハルカという人間を褒めているのだ。驚かずにいられようか。
「ハルカ?」
「あ、ああ……ごめん、ちょっと驚きすぎて意識が飛んでたかも」
「何か驚くようなことがあったんですか?」
 不思議そうにハルカの顔を覗き込むシュウとルリカ。
 そうだ。この二人はシュウの本当の性格を知らなかった。
 こんなときは絶対に嫌味で返してくれる。
 そう思って話しかけたけど、今は普通に帰ってくるんだった。
 それを考えると、褒められた嬉しさより、悲しさが少しだけ勝っていた。
「ううん。私、あんまり褒められることがないからちょっと驚いただけかも」
 少しだけ嘘をついて、二人を和ませる。
 自分を心配してくれるこの二人を不安にさせてはいけない。
 本当は嫌味が欲しかっただなんて、言えるはずないから。
「そう言えば、ドクターから言伝を預かっているんです。ルリカさんとハルカに」
「ドクターから?」
「どのようなことでしょうか?」
「……明日、思い出小玉を僕の中に取り込むことをするそうです。ロケット団の騒ぎで少しごたついてしまいましたが、やはり予定通りにするようです」
 リアルに時間を決められたことによって、不安が重くのしかかった。
 こんなやり取りが出来るのはもう、今日だけなのかもしれない。
 そう思うと、ハルカは床に落とした視線を上げられずにいた。
 きっと一番つらいのはルリカだから。しかし、

「良かったです!」

 嬉しそうなルリカの声が病室全体に響き渡った。
 思いもかけぬ、その喜びようにシュウとハルカは二人で視線を合わせる。
 もしかしたら明日シュウの中から自分の存在が消えてしまうかもしれないというのに、どうしてそこまで喜べるのだろうか?
「ルリカさん、無理してないですか?」
「それはありません! あぁ、良かった! 本当に……良かった」
 嬉しさのあまり、瞳に涙をためるルリカ。本当に嬉しいらしい。
「シュウさん。明日は絶対に記憶、取り戻しましょうね!」
「……はい。頑張ります」
 本当はシュウもどうしていいか分からず、固まっていたが、この喜びようを前にして泣き言はいえなかった。
 やれるだけのことはやろう。シュウは心の中でそう固く誓う。
「そうだ! じゃぁ、今日は語りませんか? もしかしたらこうやって話せるのも最後になるかもしれませんし」
「る、ルリカさん、そうあっけらかんと最後って……あーでも、こんなに大人しいシュウと話せるのは今日は最後になる気はする。元に戻ったらちゃんと喋ってくれなくなりそう」
「前の僕って今とそんなに違うのか?」
 ハルカの一言でシュウの動きが再び止まる。
「えーとね、あえて言うなら……ルナトーンとゼニガメくらい違うかも。とにかく私の知っているシュウは嫌味だったわ」
「ず、随分違うんですね……。それなら私も聞いてみたいです。ハルカさんの知っているシュウさん」
「僕はあまり聞きたくないです……」
「まぁまぁ、そう言わずに。じゃぁ、シュウと私の出会いから話そうかな。あ! その前に私、飲み物とかお菓子持ってきますね! それとドクターとサトシ達にもルリカさんが目を覚ましたの伝えてくる!」
 まるでピクニックに行く前日の子どものような表情でハルカは病室を後にした。
「……毎回思いますけど、ハルカって凄く前向きですよね」
「そうですね。きっと、それもハルカさんの良い所なんじゃないでしょうか? 優しくて、元気で……人やポケモンを大切にする人。きっとそんな人なんですよ」
「……ええ。僕もそう思います。彼女にはこの短い期間に何度も助けられましたから」
 シュウはルリカと会話をしつつ、病室の窓を閉めて、カーテンをする。
 気づけば外は日が落ちていた。時計は見なくとも、誘拐未遂事件からかなり長い時間が経っていることを知るのには充分な情報。
 それだけ長い間、ハルカは自分の事を見いてくれたのかと思うとルリカは心の中でもう一度ありがとうと呟いた。
「……嫌味なシュウさん、気にはなりますね」
「え?」
 ベッドの側に簡易テーブルと椅子を置くシュウにルリカが話しかける。
「私の知っているシュウさんは今のシュウさんです。だから、嫌味がどんなのだったか……」
「嫌味って褒め言葉じゃないですよね? ハルカにそれを使ってたって事は、前の僕はハルカが嫌いだったんでしょうか?」
 そう思うと余計に気分が沈みそうだった。
 記憶を元に戻しても良いのか、と。
「それは絶対にないですよ」
「え?」
 ルリカがやはり優しく微笑んでこちらを見ている。
「シュウさんがハルカさんを嫌いだなんてある筈ありえません!」
「そ、その根拠は何処からですか?」
「……シュウさんを見たら分かりますよ? そんな感じですね」 
 少しいたずらっぽく笑って、ルリカはそれ以上のことは言わなかった。
 そして、次の瞬間、扉の向こうからハルカの声が聞こえた。
 シュウはすぐに駆け寄り扉を開ける。そして、そこには 「今日は語り明かすかもー!」  大量のお菓子と飲み物を抱えたハルカが立っていたと言う。



 どうか今だけはこの楽しい時を分け与えてください。
 本来なら交わることのなかった自分達に。
 今だけはこの楽しい時間を。
 元に戻る。
 全てをかえす。
 その時間まで。










 作者より
 次からいろんなことが解明される……予定です(汗)
 三年半程経っている気はしますが、まだ半日の出来事です(土下座)
 2010.5 竹中歩


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