雨の日に遊ぼう!! 高等部三年生の段



 六限目開始時刻。
 その教室では生徒の声が全くしておらず、代わりに何かを叩くような、弾く様な音だけが響き渡っていた。
「……ちっ! また、団蔵の時か」
 一枚のプリント用紙を見て、彼ら頭へと手をやり眉間にしわを寄せる。
 三年A組潮江文次郎。生徒会にこの人ありと言われた鬼の生徒会長である。
 彼は優秀なA組でありながらも自分の教室で自習はしていない。今は時間の有効活用と言わんばかりに来る予算会議向けて生徒会室で一人、帳簿の整理をしていた。
「これは……7か? 1か?」
 帳簿は基本的に整理され、管理されている。
 しかし、いくら綺麗に完ぺきに仕上げたところで所詮は人間。自然とミスも生まれてしまう。それを確認するのが彼の仕事。
 言わずもがな、ミスなどが見つかった場合は役員全員でうさぎ跳びやマラソン等の罰が待っている。自らにも罰をするのは彼が鍛錬好きと言う事もあるが、正義感が強いと言うのもあるだろう。
 なのでけして後輩が馬鹿だから憎いとかそういう事ではない。本当に鍛錬が好きで正義感が強いだけ。……と思うことにしておこう。
「団蔵は帳簿記入の前に字の練習だな……」
 生徒会役員の一人、団蔵の文字は既に暗号と化しており、解読にはかなりの時間を要する。
 それでも何とか解読した文次郎は隈の酷い目の辺りに手を当てて天井を仰いだ。
 まるで残業疲れしたサラリーマン。
 正義感だけではなく、きっと責任感も強いのだろう。なんとも損な性格だ。
 ある意味保健委員会委員長より不運かもしれない。性格不運と言った所だろうか。
 そんな彼の耳元に扉の開く音が届く。視界を遮っていた分、鮮明に。
 誰だ?
 疲れていた事もあり、少し大きな声で叫んだ。
 扉を開けた主はこの問にかんぱつを入れず直ぐに答える。
「……失礼します。……です……」
「は?」
 思いもかけなかった人物に驚きの声をあげた。
 無理もない。彼女は生徒会役員でもなければ自分の同級生でもない。接点と言えば後輩と言う本当それだけの関係。ほぼこの場所に、この自分に関係のない人間と言っても過言ではなかった。
「ど、どうした?」
「……潮江先輩、すみません。お許しください……」
 見るからに疲れきっているは、生徒会室に入るとよたよたしながら来客用の二人がけソファへと倒れた。
 普通ならたるんどる!などと言って追い返すのだが、今の彼女にはとても言えなかった。
 それ位彼女は弱っている。
「お前大丈夫なのか? その……悪そうだが」
「……大丈夫、です。本当少し寝かさせて下さい……」
 彼女の元へ駆け寄った文次郎にはそれだけを残し、すーっと寝息を立て眠りに付いた。
 この後輩に何が起こったのだろうか?
 今日はどこのクラスも自習で体を使う授業なんて無かった筈だ。
 しかし、彼女はどう見ても何かに疲れている。何かに体力を使ったのだ。一体何に?
 ぐるぐると色んな予測が出てきてはシャボン玉のように消える。
 問題をつきとめるのは材料が少なすぎだ。
 しかし、この目の前に広がる光景が何かしらのヒントだと言う事はわかる。
「なんで……中等部の制服なんだ?」
 今寝ている少女はまぎれもなく高等部の女子だ。
 しかし、身につけている制服は中等部のもの。
 確かに学校生指定の制服や衣服であれば特に問題はない。つまりはが中等部の物を着ていても問題はない。ないだが、中等部の制服を好んで着る生徒は笑いのネタや文化祭などを除いて今までに見た事がない。
 まぁ、ちょっと変り者だと言うこの生徒ならあり得なくないが、は高等部からの編入生だと言う話。中等部の制服を持っている筈がない。
 ならばどうして?
 混乱が混乱を呼ぶ。ヒントがヒントになっていない事態に文次郎は只管に頭を抱えた。
「文次郎! いる?」
 がらりと扉が勢い良く開いた。
 また来客者か。
 ふーとため息をついて文次郎は扉の方を見た。そこにいたのは白衣を着た自分の同級生。
「伊作? どうした、そんなに慌てて」
「こっちにちゃんが来たって聞いて追いかけてきたんだよ」
「奴ならここにいる」
「え? あ! 本当だ」
 ちょっとどいてと言わんばかりに伊作は文次郎を押しのけてへと駆け寄り脈を測る。
 それを見てそんなにの容体は悪いのかと文次郎が眉をひそめた。
「……良かった。脈拍に問題ないし寝てるから大丈夫みたい」
「こいつ、何か調子が悪いのか? お前はこいつに何か知っている様子だが……」
「あ、うん。さっき保健室に数馬が来たからね。文次郎は知らないの?」
「行き成り入って来たかと思ったら、すいませんの一言で寝やがったからな。理由を聞く暇さえなかった」
「そっか……。そこまで疲れてたんだね」
 伊作は自分の着ていた白衣をの布団代わりに体へとかけた。
 そのお陰での制服はすっぽり隠れ、彼女の気にしていた服装は傍からは見えなくなる。
ちゃんね、今仙蔵に追いかけられてるんだって」
「仙蔵に?」
「うん。ほら、制服が中等部のでしょ? あれ貸したの仙蔵らしいんだよ。雨の所為で濡れた制服の代わりに貸し出したって。風紀って制服のサンプルとか持ってるしね」
「ちょっと待て。サンプルは分かるが、何で高等部のを貸さな……」
 自分で言っておきながら文次郎はその事態に気づいた。
「野郎、面白がって中等部のを貸したんだな?」
「だろうね。だから、それを面白がって写真におさめるべくちゃんを追いかけてるって話」
「だからあいつ、朝から上機嫌だったのか……気味が悪ぃと思ってたんだよ」
 今朝のホームルームで意味もなく笑っていた仙蔵の顔を思い出し、呆れたようにまたため息をつく文次郎。
「仙蔵にしたら良いおもちゃだったんだろうね。でも、可哀相だよ。こんなに疲れちゃって」
 全く動かず、下手したら息をしていないのではないかと思うくらいには熟睡している。
 それ位眠りに体が集中しているのだろう。
「おい、文次郎!! こっちにが来なっ」
「…………静かに」
 再び扉が勢い良く開いたかと思えば、見慣れた二人の姿がそこにはあった。
 声を張り上げていた小平太の口をふさぐ長次。三年B組の二人だ。
「貴様ら! ここは生徒会室だ! もう少し緊張感を、」
「文次郎、君も静かに」
「お、伊作くんも居たのか。あ!! やっぱりいた!! 長次はこれに気づいたから私の口をふさいだのか?」
 こくり。
 いつ見ても強面な表情で長次は頷く。
「そうだったのか! ありがとう!!」
「だから小平太、声が大きいって……」
「すまん、すまん。三之助からを守ってくれと言われてな。それでが行くって言ってたと言う生徒会室に来たんだ」
「え? 小平太もなの?」
「伊作くんもなのか?」
「うん。僕は数馬が教えてくれたんだ。仙蔵から逃げてるとか背中に蛇が入ったとかで疲れてる筈だから、助けてあげて下さいって」
「蛇っ!? それは私も聞いていないぞ!?」
「あ、あれ? ジュンコが逃げ出したとかでちゃんの服に入ったのを必死で出したって話だったんだけど」
「また脱走したのか、あの天然記念物。飼育委員はたるんどるっ!」
 情けないと文次郎は今日何度目か分からないため息をつき、小平太は蛇に好かれるなんてすごいと、何やら間違った方向へと解釈する。
 普通の人から見れば何だという光景だが、この面子からすれば当たり前な光景だ。
ちゃんは体が小さいから普通の子より少し体力がない筈なんだ。ほぼ一日あの仙蔵から逃げ回ってたらそりゃ疲れもするよ」
 伊作の言葉を聞いて小声で可哀相だと呟く長次。顔は相変わらずだが、きっと心の中で心配しているに違いない。
「そう言えば仙蔵は?」
「朝から消えている。あいつの事だからひょっこりとどこかにいそうなもんだが」
「ほう、良く分かっているじゃないか。文次郎」
 くすくすと笑いながら生徒会室のカーテン裏から彼は姿を現した。
 今日一日を追いかけていたにもかかわず、彼は疲れた様子など全くない。
 立花仙蔵。完璧にして容姿端麗のまま彼が。
「お、おま! いつからここにいた!?」
「伊作が入って直ぐ後だ。お前も伊作もを気にしていて全く気付いてなかったようだがな」
「……相変わらずだな、お前」
 彼の侵入を見破れなかったのが悔しかったらしく、文次郎は皆が群がる来客用ソファから離れ、パイプ椅子にどかっと座る。
 仙蔵はその心中がわかったらしく、文次郎を見てまた妖艶に笑った。
 しかしの顔を見るなり、その笑顔は消える。
「……本当に少しやりすぎたようだな。元気に逃げ回っているので、もう少し大丈夫だと思ったんだが」
「多分、ジュンコちゃんの一件でかなり疲れたんじゃないかな。数馬がね本当に泣きそうになって来たんだよ。孫兵君と一緒に。物凄く迷惑かけたって」
「そう言えば私の所に来た三之助と藤内もそんなこと言ってたな。半端なく疲れてる筈だからそろそろ限界ですって。長次も横にいたから聞いてただろう?」
「………………二人とも元気なかった」
「ジュンコは予期せぬハプニングだったが、結果的に私の判断ミスだ。それに関しては申し訳ないと思う」
 すやすやと眠るの顔を見て、仙蔵はすまなかったなと彼女にわざと届かない謝罪を入れる。これを見て、文次郎は案の定怒った。
「謝罪は起きてる時にしてやれ」
「気が向いたらな。……しかし、久々に面白い奴に巡り合えた。高校生にもなってあんなに必死に逃げる馬鹿も珍しい」
「まぁ、普通は諦めるよね。あとは嫌だったら友達からジャージ借りるとか」
 少し肩から落ちた布団代わりの白衣をにかけなおしながら伊作は笑う。
のサイズに合うジャージを持ってる奴なんて居るのか?」
「……ま、まぁ探せばいるんじゃないのかなー……? あれ?」
「お、ここにいたのか」
 小平太の言葉にわざと目線をそらす伊作は入口から入って来たばかりの人物と目が合う。
「留三郎まで来ちゃったよ……」
「なんだよ伊作。その言い方だと俺は来ちゃ行けなかったって言うのか?」
「俺としては生徒会室にお前が来るとロクな事がないから遠慮したいんだがな」
「けっ! 生徒会長さんには用はねぇよ! 俺は後輩からが大変だって聞いたんでね」
 留三郎もまた、ソファへと近づきの様子を心配する。
「伊作、こいつ大丈夫なのか?」
「うん。今は寝てるだけだからしばらくすれば起きるよ」
「そっか。なら良かった。いやー、作兵衛と左門から仙蔵の魔の手が忍び寄ってると聞いたな」
「酷い言われようだな、私も」
「そんだけの事をしてるお前が悪い。にしても、仙蔵から逃げるとは大した奴だ」
 起こさなように、良く頑張ったと笑顔で留三郎はの頭を撫でる。
 いつもは元気良く撫でる彼にしては珍しいふんわりとして撫で方。
「………………」
「お、そうなのか? 長次」
「小平太。長次なんだって?」
 聞きとれなかった長次の言葉を通訳するように伊作は小平太に頼む。
「他の学年でも助けてくれた奴がいるんだって。まぁ、は顔が広いからな。助けてくれる人間も多いのだろう」
ちゃんらしい……」
 やんわりと優しい雰囲気がその場に広がる。
 しかし、それはの目が開いた瞬間、終息を迎えた。 

「立花先輩!! 道を踏み外さないでくださいっ!! まだやり直せます!!」

 何かを追いかけるように飛び起きたは言わずもがな思い切り仙蔵によって拳骨をくらわされた。
 一体何の夢を見ていたのだろうか?



「本当、色々すいません……もう、お詫びして良いやら……」
「な、泣かないでちゃん。もう、仙蔵ったら女の子なのに何で手加減しないの?」
「そいつが私の悪人に仕立て上げた夢を見るのが悪い」
「仙蔵が今日彼女にした行いのせいでしょう! あー、たんこぶまだ引かないし」
 の頭には綺麗にたんこぶが浮き上がっていた。
「でも、夢で良かったです。立花先輩が側溝に落ちそうになってましたから。立花先輩ともあろうお方がどぶなんかに落ちた日には、それは目も当てられませんからね」
「道と言うのはそっちの道か。てっきり人生の選択を私が間違っているかのような止め方だったぞ」
「ははは。すでに道を間違っている先輩をどうして私が止めなくちゃならないんですか」
「お前……もう一度殴ってやろうか。今度こそ私の手でたんこぶを作るぞ!!」
 の頭に出来たたんこぶ。実は仙蔵の拳骨のせいではない。
 仙蔵の拳骨に驚いて飛び起き、その瞬間ソファから転がり落ちて側にあったテーブルで打った為にできたたんこぶ。
 なので、の自業自得のようだが、その場にいた仙蔵以外の三年生は仙蔵が悪いと言い切り、彼はまだ責められている。なので、機嫌がどうやら悪い様だ。
、茶はいるか?」
「いただきます……。潮江先輩も本当すみません。ありがとうございます」
「意味なく謝るな。礼だけで良い」
「はい。……中在家先輩も心配掛けてごめんなさい」
「………。………」
「えーとな、長次も謝らなくて良いって言ってるぞ。今日のは仙蔵が全部悪いからって」
「小平太。お前までも私が悪と言うのか?」
「今のは長次の言葉だ。それに私も長次と同じ意見だぞ! だって仙蔵がをからかわなければ、こんなことにはならなった!」
「それに関しては悪いと思っている。だがしかし! たんこぶは私の所為ではない!」
「男が小さい事で騒ぐな! 似たようなもんだろうが!」
「全然違う! 今のを訂正しろ、留三郎!」
 耳をふさいで小声を煙たそうにする留三郎に仙蔵は食いつく。
 それを見ながらは目覚めた時の事を思い返していた。
「……伊作先輩」
「ん? 何? どこかまだ痛い?」
 氷水の入ったビニール袋をずっとの頭に当てている伊作はの言葉に耳を傾ける。
「どこも痛くはないんですが……もしかしなくても私、寝顔見られたんでしょうか?」
「え? あ、うん。みんな見てるよ。良く寝てたからねー」
 悪気はない、この人に悪気はないのだ。
 だがしかし! その事実だけは受け入れられない!!
「皆さん長い間お世話になりました!! 私、本日より裏山にて仙人を目指すべく冬眠いたします!!」
「えっ!? ちょっとちゃん!」
 行き成り生徒会室の窓に足をかけるので、必死に伊作が止めに入る。
「伊作先輩の様な女神さまに出会えて本当に幸せでした! しかし、寝顔と言う醜態を見られたからにはどうすれば良いのですか!」
「落ち着いて! 仙人を目指すのも何か女の子として間違ってるし、今は冬眠の時期じゃないよー!」
「人間なせば成ります!!」
「ならないって!! もうー!! ほら、言う事聞く!!」
 彼女にしたら本気だった。恥ずかしさのあまりどこへ行ってしまいたいと。
 しかし、伊作に実力行使で止められてしまえば何も出来ない。
 は伊作に抱えられ、窓から降ろされる。
「……もう今日は厄日です……。恥ずかしい格好はさせられるは、寝顔は見られるはで」
「そこまで落ち込まなくても大丈夫だぞー!! その制服、に良く似合ってる!!」
「お前は黙っておけ、このバカタレっ!」
 学園一空気が読めないと豪語される暴君の口は生徒会長によって塞がれた。
 しかし、が暗くなってしまえばそれも意味をなさない。
 彼女はふかーく沈む。
「だ、大丈夫! 落ち込むほど変じゃないし。仙蔵も写真はもう撮らないんでしょう?」
「それは約束する。今日はやり過ぎたからな。それに人というのは逃げるものを追いかけるから楽しいのだ。止まってしまえばそれはなくなる」
「なんかさり気に失礼なこと言われた気がするんですが」
「はは、気のせいだ。しかし、これでもやはり悪いとは思っているのだぞ?」
 あれだけ執拗に追いかけていた仙蔵だが、本当に悪いと思っているらしく、手にデジカメや携帯電話の姿はなかった。
「本当にそう思ってるなら最初からやらないでくださいよ……。本気で泣きそうでした」
「だから悪いと言っているではないか」
 その言葉を信じていいものかどうかは悩む。
 そして、徐に文次郎から受け取ったお茶を飲んである事を閃いた。
「じゃ、何か誠意見せてください」
「誠意、だと?」
「はい」
 じーっと仙蔵を睨むようには頷く。
「お前、私に何をさせる気だ」
「皆さんの為に何かしましょう」
「みなさん?」
「ええ。私は色んなところに乱入しましたから、結構迷惑かかってる筈なんです。だから、その方達の為の何かです」
「あー、確かにな。少なくとも中等部と俺らには迷惑かかってるな」
「生徒会の帳簿記入にもだ」
 留三郎と文次郎の意見が珍しく合う。
 言われてみれば、被害はかなり大きいかもしれない。
「立花先輩。皆さんの為に頑張りましょうね」
 彼の肩をぽんと叩き、は憐れむものを見るかのような目線を仙蔵に送った。
 その瞬間、本日の授業最後のチャイムが響き渡る。
 それは合戦終了の合図だった。


 立花仙蔵への報復。
 一体、は何を彼にさせるのだろう。






作者より
物語の中で一番おとなしい話でした。一番年上ということもあり、見守ってそうだなと。
仙蔵もなんだかんだ言って引き際のわかる人だと思っています。変なところでこの人素直ですよね(笑)
さて、次で雨の日に遊ぼう完結です。立花さんがどうなるのか楽しみにしててください。
2010.7 竹中歩

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