その少年が生まれたときから全ての歯車は動き始めていたのかもしれない。
少年がこの世に生をうけ、
この時代での役割を知り、
自分の人生の全てを把握した。
その時から何もかもが劣悪になっていく。

イオン

それがこの少年の名前であり、世界の中心的存在導師の名前だった。







あったかいね。








 導師イオンと呼ばれる少年は私室に居た。見た目は5、6歳程度。緑色の綺麗な髪。教団から支給される白い導師服に身を包んでいる。しかし手に持っているのは年齢にしては不似合いな本。タイトルは『此処までの歴史』名前からして難しそうな本だ。実際、大の大人でも難しい書物。しかし、イオンは表情を変えることなくページをめくる。預言を詠める彼にとって本を読むなんて動作もないことだ。知識など預言を詠むことに比べれば容易い。案の定彼の勉学レベルは大人に匹敵する程。そして考え方や言葉の言い方もやはり子どもらしくはない。大人びており全てに筋が通っている。
 どうしてそんな考え方になったのか?それは彼自身が大人ばかりのローレライで育った環境もあるが一番考えられる理由は自分の人生を知ってしまった所為だろう。自分の命が長くないという拒絶したくなる運命を知ってしまったが為に彼は合理的で尚且つ冷酷な性格になった。
 全く預言とは怖いものだ。純粋な子どもを神童と呼ばれる存在にもしたが、卑屈的な存在にもしてしまう。
 そしてやはり彼は道を誤った…。彼は部下であるヴァンの恐ろしい計画に加担してしまったのだから。この世界を崩壊させ、レプリカだけの世界を作るという預言を無視した未来の捏造計画に。それだけ彼は…預言を憎んでいたのかもしれない。
「…つまらないね。」
 途中で飽きてしまったのだろう。本を三分の二程度読んだところで閉じてしまう。
「過去の事なんて僕の知ったことじゃないよ。」
 彼にとって世界はどうでも良い存在。良い方向に進むにしろ、悪い方向に進むにしろ自分が居なくなってしまう世界に興味をもつ人間などいない。
「面白い事なんてないよ…」
 そうポツリと呟いた時、部屋の扉をノックするコンコンと言う音。
「誰?」
「私です。イオン様。」
「ヴァンか。入っていいよ。」
 5歳位ながらもその言いようと威厳はかなりのもの。大人だとわかっていても屈しない。むしろ堂々たる発言。
「失礼致します。」
 扉の先から20代の男性が姿をあらわす。イオンが今のところ一番傍においている存在の男。ヴァンだ。
「どうかした?」
「実は昨日面白い物を発見しましたのでイオン様にもお伝えしておこうかと思いまして。」
「面白い物?」
「はい。」
 見た目だけで判断すならヴァンはかなりの紳士。しかしそれは表面上の顔でしかない事をイオンは知っている。彼がレプリカ計画を進行している事も。世界を壊滅させようとしている事も。それを知っていながらイオンは傍においていた。それはどうしてか?彼がやる事が一番面白そうだから。それだけイオンにとって面白い事はこの世に存在しないのだ。それはヴァンも知っている。しかし、そのヴァンの口から出る面白い物。考えなくてもイオンの興味は簡単にそそられる。
「入れて良いぞ。」
「はい!」
 部屋の外から衛兵の声。それとともに何かがイオンの部屋に入る。
 桃色の髪…いや、薄紅に近いようなはっきりとしたピンクの長い髪をした少女。目鼻立ちが歳の割にははっきりとしており、将来美人になることが確定的な愛らしさ。しかし、その顔には不似合いなほどみすぼらしい服。確かこれは囚人に着せる服ではなかっただろうか?サイズがなかったのだろう。かなり大きめである。
「…この子が面白い物?」
「はい。」
「何処が?」
 間髪居れずにヴァンに質問する。確かに格好としては面白いかもしれないが、イオンの興味をそそるほどの物でもない。ジーと見つめていると表情がどんどんと強張っていく。泣きそうな表情だ。
「確かにこのままでは普通の少女です。しかし、彼女がいた場所が問題なのですよ。」
「居た場所?」
「はい。彼女は民間人から通報があり我々ローレライが保護したのです。『ライガ』たちの巣から。」
 その言葉にイオンの顔つきが変わる。少し興味をもったような驚いた表情。
「ライガって…あのライガだよね?」
「はい。」
 ライガとはこの世界の存在する魔獣。女王的存在のメスライガを中心としたグループで生活をしている。性格はかなり獰猛で人間などあっという間にかみ殺されてしまうほど。その巣の中で人間が育っていたのだ。イオンが驚くのも無理はない。
「ライガに母性本能なんてあったんだね。」
「どうでしょう?非常食だったのかもしれません。」
「かもね。でも、確かに面白い存在ではあるよね。」
 少し笑って少女に手を差し伸べた。強張っていた表情をとかそうとしたのだが、逆に勢いよく差し出した左手を噛み付かれる。獣に育てられたの言うのは満更嘘ではなさそうだ。普通の人間が噛み付いたところで此処まで血は出ない。導師服が白かった故にイオンの左手は紅く滲んでいく。
「イオン様!」
「そこまで焦らなくて大丈夫。対したことないよ。でもライガに育てられたって言うのは嘘じゃないみたいだね。身を守ろうとする意識がこんなに強い人間は見たことないよ。まず導師の僕に楯突く人間を見たことがない。彼女はある意味人間じゃない。人間は彼女ほど意思を示さないからね。」
 イオンの付き人が手馴れた手つきでイオンの腕を治療していく。本来ならきっとイオンは怒っている。しかし、そんな表情は見せずに笑っていた。
「気に入られましたか?」
「うん。よからぬ人間よりよっぽど。本能のままに生きてるって所が気に入ったよ。ねぇ、育ててみない?この子。」
「彼女は言葉も分かりません。いつイオン様に牙を向くかも。それでも宜しいですか?」
「かまわないさ。言葉なんて教えれば覚える。まだ教えても遅くないよね?」
「七歳くらいと言う報告を受けていますから、多分大丈夫でしょう。」
「僕より年上なんだ。」
 イオンが驚くのも無理ない。彼女はイオンより身長が低く、さらに幼顔。精精同じ歳くらいだと思っていた。
「まぁ、どっちにしろ大丈夫なんでしょ?」
「しかし…危害が…。」
 やはり攻撃的な少女とイオンを一緒にするのが心配なのだろう。ヴァンは最後の最後まで問い掛ける。その表情を察してか、治療が終わったイオンは不適に笑って、
「ヴァン…危害を加えられても大丈夫。だって…僕は12歳まで何があっても死なないんだから。」
 その顔はとても冷たさを帯びていたという。









 次の日からイオンは少女を一般人のように育てる事を始めた。しかし、コレが中々上手くいかない。
「イオン様…怪我が増えているように見えますが…」
「噛み付かれたり引っかかれたりでね。此処に来た時は今にも泣きそうだったのに。」
「あれはきっとモースの所為でしょう。」
「モースの?」
「イオン様にお連れする前にモースに会わせたのですが、脱走を試みまして…そのとき邪魔だったモースに噛み付こうとして…返り討ちにあい、叩かれてましたから。」
「…獣は強き物には逆らわず弱き物には牙を向く…か。」
 包帯だらけのイオンは笑って見せた。ヴァンすら今までに見たことのないような嬉しそうな表情。よほど彼女の存在はイオンにとって面白いのだろう。
「ねぇ…彼女は何食べてたの?」
「ライガの食生活と変わらない筈ですから…生肉…。もしくは何かの木の実だったのではないかと。」
「ふーん…生肉はちょっとね。…あのさ、果物持ってきてもらえる?」
「果物…ですか?」
「うん。皮付きのままで。獣って食べ物くれる人には懐くって言うからね。」
「承知しました。」
 ヴァンは外に任せている衛兵にすぐさま指示を出した。そしてそれが届くとイオンはそれを少女に見せる。
「食べる?」
 彼女は外を見たまま無表情だった。ふるさとの事でも思っているのだろう。軽いホームシック。
「気にすらされてない。忍耐力が要りそうだよ。」
「まぁ、子育てなんてそんなものですよ。」
「子育てって…そう言えばヴァンには妹がいたんだよね?」
「ええ。10ほど離れた妹です。だから私が妹を育てた感覚に今回も近いのでしょう。ですが此処までお転婆ではなかったので私も分りかねます。」
 流石のヴァンでもお手上げ状態。やはり苦労は目に見えている。
「やめますか?」
「ううん。まだやってみるよ。とりあえず僕の部屋に連れて行っていい?」
「私室にですか?」
「うん。傍に居て警戒心とかないと。…昨日から何も食べてないからこのままじゃ餓死…するでしょ?」
「わかりました。」








 めんどくさいことが嫌いで有名だった導師イオン。しかし彼女の件に関しては別だった。もう教育を始めて一週間になろうとしている。しかし一行に進歩しない。
「慣れましたか?」
「噛み付くことはなくなったけどまだ引っ掻いて来る。食べ物は手から絶対に食べない置いておけば食べるんだけどね。それにこれだけ一緒に居ても傍に近寄ろうとしない。言葉もまだ言えないし。」
「言葉はまだ無理でしょう。ただ、傍に寄らないのが問題ですね。」
「傍にさえ寄ってくれれば苦労が報われてる事の証なんだけど。」
「そうですね。ところで…本日の予定は…」
 流石に導師としての業務を怠るわけには行かない。それだけ預言を詠むという事は大事な物なのである。
「今日は詠む事あった?」
「明日…何件か入っています。今日はたまった書類がございます。」
「わかった。目を通しておくから、執務室の机においておいて。」
「承知しました。」
 ヴァンはお辞儀をすると部屋を後にした。そして大きなため息がイオンから毀れる。
「いつになったら慣れてくれるんだろう。」
 窓の外を眺める少女を置いてイオンは隣接する執務室へと向かう。執務室は寝室の真横。壁を一枚隔てているだけなので、扉一枚で行き来できる。一応彼女が目に入るように扉は開けっ放しにして机の傍により椅子に座った。
「良くこれだけ書類が集められるよ。それにこんな子どもにコレだけをやらせようとする心がまえが逆に凄い。」
 机の上の資料を一枚手にとり再び大きなため息。子どもには辛い事務仕事。しかししょうがないと割り切ってペンを片手に書類にサインをしていく。時々書類が多いことをいい事にサインだけをさせようとする馬鹿なやからの書類も混じっているのでそれがないか確実に目を通す。
「ケセドニアの物流の悪さの原因……」
 ダアトが中立の立場にあるがゆえグランコクマ、キムラスカ関係なく仕事が飛び込んでくる。それに民間人の預言も。はっきり言って導師の仕事はかなりキツイ。
「預言なんて詠まなくてもどうにでもなるのに…人に頼らないで欲しいよ。」
 そう言ってティータイム用に置かれたホットミルクに手を伸ばす。何時も業務の時にはヴァンが茶菓子と飲み物を置いてくれている。これは子どもにとって嬉しい待遇だ。
「あとは……?」
 部屋の雰囲気が変わった事に違和感を覚えた。ふと扉を見ると少女が立っている。その光景に驚いた。窓の傍から離れようとしなかった彼女がイオンを見つめているのだから。
「どうかした?寂しかった?」
 自分より多分年上の人間を慰めるかのように笑いかける。しかし彼女は表情を変えない。
「やっぱりまだ無理かな。」
 肩をすくめて笑った。そのとき彼女はイオンのもとへと近づく。
「(あー…また引っかく)」
 しかし、引っかく気はなかったようで、イオンから1メートル程離れた場所で止まる。そして何かを見ていた。
「もしかして…お腹空いた?」
 ホットミルクを見ていた。赤ん坊の頃からライガに育てられていたとは言うが、最初のうちはきっとミルクで育てられていたと思われる。ならばミルクに反応を示してもおかしくはない。イオンはそう思い、息を吹きかけ少し冷ましたホットミルクのカップを少女に差し出す。
「熱いから気をつけて。」
 最初は敵意を向けて後ずさりした。しかし、香りに懐かしさを感じたのか徐々に近寄りそしてカップを』両手でそっと掴み、床へと腰をおろした。
「掴んだ…。」
 やはり少し熱いのに驚いたのだろう。カップを受け取った時にビクッとしたが少ししてミルクを口元に運んだ。けして綺麗な飲み方ではない。獣らしい慌てた飲み方。けれど…彼女がイオンの手から初めて物を受け取ったのだ。
「コレも食べる?」
 お茶菓子に付属されていたチョコチップの入ったクッキーを差し出す。ホットミルクのカップを床において、差し出されたクッキーの香りを嗅ぐ仕草。が、やはり後ずさり。
「大丈夫。食べられるから。」
 イオンは自分の口に運んで見せた。そして一口齧ったクッキーを再び差し出す。このほうが安心させられるのではないかと思った為の行動。そしてそれが吉と成す。彼女はクッキーを受け取ると口に運んだ。
「あ…食べた。」
 美味しかったのだろう。驚いた様子のあとに夢中で食べていた。そして初めて見る少女の笑った表情。
「あげる。」
 そしてまたイオンも嬉しかったのだろう。椅子から降りて、彼女の前に座るとクッキーの入ったお皿を差し出した。クッキーとイオンの顔を交互に見比べた少女はお皿からクッキーと手にとり食べ始める。まるで子リスがどんぐりを齧るような動き。
「苦労無駄じゃなかったみたいだね。」
 そう言って彼女を見てたとき、彼女がイオンにクッキーを一枚差し出した。
「え…。」
 珍しく本当に体ごと驚いた。今まで傍にすら寄らなかった彼女が自分に向けてクッキーを差し出している。
「貰っていいの?」
 彼女は泣きそうな顔ながらもずっとそれを差し出していた。そして今度はイオンが恐る恐る彼女からクッキーを受け取る。
「ありがとう。」
 笑って言って見る。例え言葉は分からなくても笑えば誠意が通じるんじゃないかと思って。
 そしてその気持ちが伝わったのだろう。少女も笑った。
「次は…食べ方と言葉だね。」
 夢中で食べる彼女を見ながらイオンは廊下に待たせていた衛兵に
「あのさ、ヴァン呼んで来てくれる?ついでにクッキーもう一皿持ってきてって。」
 それを聞いた衛兵の答えは間抜けな声だった。クッキーもう一皿の意味がわからなかったのだろう。そして数分後お皿を片手にヴァンが現れる。
「イオン様…」
「ねぇ、ヴァン見て。」
「はい?」
 机の小脇でクッキーを嬉しそうに食べる少女の姿にヴァンは目を奪われる。
「食べるようになったのですか…。」
「うん。とても一皿じゃ足りなさそうだったからね。」
 ヴァンから皿を受け取ると、少女の前にそっとおく。彼女はイオンの顔を見てまたぱっと笑った。
「手渡しじゃないけど、それなりに警戒心は解けたみたいだよ。」
「良かったですね。イオン様。」
「うん。…ねぇヴァン…人ってこんなことで嬉しくなれるんだね。」
「イオン様?」
「僕は嬉しいとか楽しいって感情よくわからなかったけど…彼女が教えてくれた。多分彼女は僕にこれから同じ思いをさせてくれると思うよ。」
「そうですか。」
 嬉しそうに笑うイオン。そんな表情を見たことがなかったヴァンも久々に笑っていた。








 数日後、書類を届けにヴァンがイオンの執務室を訪れる。
「イオン様失礼します。」
 扉を開けた先にイオンが左手の人差し指を口元にあてて静かにと言うポーズをとっていた。
「失礼しました。」
「気持ちよさそうに寝てたから起こしたくなくて。」
 ベッドに腰掛けるイオンの袂で小さな寝息を立てる少女が一人。
「昼寝…ですね。」
「うん。お昼ご飯食べて直ぐにね。」
「幸せそうに寝てますね。」
「うん。…あのさ…さっき気が付いたんだけど…人ってさ温かいんだね。」
「温かい?」
「うん…人に触ってみて本当の温かさが分った。それにこうやってアリエッタと一緒に居る事が…温かい。」
「イオン様…人は本来そうあるべきなのです。しかし預言に頼りすぎている為にそんな些細なことにも気が付かない。預言は些細な幸せさえも見過ごすのですから。」
 ヴァンもけして人々の幸せが憎いわけではない。預言が憎いのだ。
「そうだね。やっぱり今の世界には預言なんて要らないよ。だから進めてよ。レプリカ計画。」
「承知しております。ところで…アリエッタと言うのは…」
「ああ…名前だよ。この子のね。ないと不便でしょ?」
「そよ風…と言う意味のほうですか?」
「うん。それもあるけどほら、有名な曲の小さいって言う意味もある。まぁ、由来なんてどうでもいいんだよ。彼女が…幸せであれば。だから、絶対に死なせたりしないでよ。」
「御意。」
 
 








そよ風とある歌の小さいと言う意味を持つ名前。
僕に暖かさを運んでほしいから、
彼女には小さな事でも笑っていて欲しいから、
アリエッタってつけた。
だけど本当に由来はどうでもいい。
彼女が幸せであればそれで。
だから、君はいつまでも幸せでいて。







僕の大事なアリエッタ










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作者より…
オリジナルイオン様とアリエッタの仲は不動だと思います。
何者も入れないじゃないでしょうか?この二人には。
もう、この二人の仲に切なさを感じていけません。
大好きだな。この二人。因みにオリイオ様が
アリエッタにかなり甘い上にべた惚れなのが好みです(笑)
2006.4 竹中歩