その日は僕の我侭を聞いてもらった。
 アニスがガイとナタリアとティアと一緒にグランコクマに行くって言うから、何度もお願いしてダアトから連れ出してもらったんだ。
 いつも留守番してる僕にとって、その日の外出は凄く特別。
 ダアトと変わらないはずの空だって、いつもより青く見える。
 風が気持ちよくて、風に揺れる葉っぱとかもきらきらしててとっても綺麗。


 でも、そんな綺麗な風景が一気に戦場へと変わったんだ。


 誰か知らない男の人たちが出てきて、アニスたちに攻撃をしてきたんだ。
 でも、そこから先は知らない。
 気が付いたら……僕が一番先に……傷を負ったから。
 真っ赤な血が、水しぶきみたいに僕の目に映る。
 凄く痛くて、痛いってこと以外考えられなくて、そのうち目の前が真っ白になったんだ。
 そして本当に何も見えなくなったとき、アニスの声が聞こえた。
 とっても悲しそうで、こっちが泣きたくなってしまうようなかわいそうな声。
 それで僕の名前を呼んでたんだ……





「フローリアァァァァン!!」










まだ、何もしてないくせに










 そこは綿毛のようなふわふわとした世界で出来ていた。
 オレンジとも黄色とも、はたまたピンクとも言える淡いパステル調の色が混同する不思議な世界。その色合いはとても暖かく、心を和ませる。
 色だけや、風景だけではない。また、地面も同じような色でタンポポの綿毛ような柔らかさを持っていた。
 とても心地が良く、まるで幸せと言うものを形にしたような、そんなこの世のものではない世界で彼は寝ていた。
「ん……?」
 目が覚めたようで、上半身を起こし、あたりを見渡している。
「ここ…… どこ?」
 眠気眼でまだ目が慣れきっていないらしい。何度か目をこすり、あたりを見渡していた。そしてしばらく考え込む。
「ん? ん?」
 ここがどこかやはり分かっていないようだ。
 地面をつついてみたり、適当に走り回ってみたり、体でその世界を感じている。
「何? ここ? アニスー!」
 自分が一番心を許している人物の名を呼ぶ。しかし、返答はない。
「なんで? さっきまで一緒にいたのに」
 そう。先ほどまで彼はアニスたちと一緒に行動をしていた。
 そして……何が起きたかをようやく思い出す。
「!!」
 ぞくりと体に寒いものが走り、足元からヒヤッとする感じを受けて徐々に恐怖を思い出していく。
 そしてたどり着いたのは、
「痛い!」
 声をも失うほどの激痛と……この世のものとは思えない恐怖。
 ……彼は少し前にアニスたちと一緒にいるところを襲撃され、負傷した。
「いやだ! ……怖い! 嫌、嫌ぁ! アニス!!」
 立っていることも出来ずに体をこわばらせ、その場にうずくまる。
 小刻みに震える体からは時折、声が絞り出されるようにして小さく響く。
 でも、それが何かの拍子にふっと止まった。
「あれ?」
 彼は不思議そうに立ち上がり、お腹の部分をなでる。何度も、何度も。
 そして最終的には服までを脱ぎ、自分の体を確かめた。
 あるはずのものがない。
「……怪我が……ない?」
 気を失う前、確かに彼は目で確認していた。自分の体から飛び散る鮮血を。しかし、その根源である傷口がどこにも見当たらない。
 アニスどころか他の人もいない上に、傷口までない。
 なぜないのだろうか? そう思いながら服を着なおす。
 一体ここは……





「いい加減に気づいたらどうなんだ?」





 誰かに呼ばれた気がして彼は後ろを振り返る。しかし、人の姿はない。
 右も左も見てみれど、やはり声の持ち主はどこにもいない。
 空耳か? そう思った瞬間、
「そっちじゃないですよ」
 今度は優しそうな声が聞こえた。
 何度も見渡してみるが、今彼に見える世界は淡いパステル調の絵の具を敷き詰めたやんわりとした世界だけ。
 一体どこに声の主が?
「上だよ」
 そういわれて、彼は上を向いてみた。そこにいたのは、









 自分=ジブン

 己=オノレ

 同一=ドウイツ









 自分と全く一緒の容姿をした三人の少年が上に浮かんでいた。
 普通ならば空に浮かんでいるとでも言うのだろうが、この世界は上も下も右も左も、全てが同じ色。上空だけを示す言葉が見つからない。だから上。
 簡単に言うと宙にいるでのある。
 そこから三人の少年は彼を見ていた。
「全く、何で気が付かないかな? さっきから随分経ってるけど」
「よほど慌てていたんでしょうね。行動が困惑に満ちていましたし」
「そういう所はあんたの行動とそっくりだよ。世話してるときからずっと思ってたけどね」
 三人は彼を見ながら何か会話をしていた。その間、彼は会話に加わることなく、三人だけを見つめていた。
 そして暫くして、徐に言葉を漏らす
「もしかして……本当のイオンさまと、アニスのイオンさまと、シンク?」
 その言葉に少年たちは会話をやめる。



「……頭が悪いと思ってたけど、こういうことは案外気が付くんだね。ま、僕のレプリカなら当然だけど」
 そういってきたのは他の二人に比べて、少々体が細く肌の白い少年。服装はやんわりとしゃべる少年と変わらない。
 この人がオリジナルイオンだ。彼はそう思った。
 自分のオリジナル。元となった人物。


「僕やシンクと違って、彼は教育と言うものをちゃんと受けられていなかったですから……でも、僕よりはしっかりしてるとは思いますよ」
 優しく微笑む人物に彼は心当たりがあった。アニスが時々話してくれた人物だ。
 自分とそっくりでとても優しく、何事も自らを犠牲にする人。
 この人はアニスのイオンさま。アニスが自分に見てしまう大切な人。


「でも、一人の人間……アニスとか執着するって所はあんたたち二人にそっくりなんじゃないの? アリエッタとかアニスとかに執着してたでしょ?」
 人の神経を逆なでするようなしゃべり方の人物とは面識がある。自分をモースのところまで連れて行った人。
 自分と一緒の理由で生まれ、捨てられた人。レプリカの一人。
 唯一自分とまともに話をしたことのある、アニスの敵だった人。





 ここにいる四人は全て預言という物に人生を狂わされた少年たち。
 導師というものに縛られ、振り回された、一度はイオンとして生まれてきた者たち。

 導師として生まれ、預言に沿い、儚く散った者。
 他人の勝手な都合で生まれ、自らを犠牲にした者。
 生まれたのに、世界に阻まれ、愕然とし、戦場にて敗れた者。
 捨てられ、生き抜いて、拾われ、今を生きている者。

 本当なら一緒の次元に存在しない人物たちが……今ここにいる。





「なんで……ここにいるの?」
 彼は当たりまえな質問をぶつけてみた。
 本当なら少年たちは……この世界には存在しない。
 そう聞かされていたのだ。
 それに、同位体だからか分からないが、今までに三回、彼は何かが体から消える感触を感じたことがある。
 一度目は非常に強く、体から何かが抜け落ちるような瞬間を感じた。それは確か二年位前のこと。
 二度目は聞いたこともない女の子が聞こえたとき。凄く泣いてた女の子。そしてそれを期にモースに預言を読むようにしつこく言われた。
 三度目はアニスたちが全てを終わらせて帰ってくる少し前。何故か耳元でアニスが『バカー!』て叫んでたのが聞こえた。
 多分、それがこの三人。
 散ったはずなんだ。
 だから、その人物たちが目の前にいるなんてありえない。
 でも、何故かこうして今彼の目の前にいる。
「それは僕が聞きたいんだけど?」
 オリジナルである少年が逆に質問してきた。彼は意味が分からず首をかしげる。
「はぁ……お前さ、この状況見て普通じゃないの分かってるだろう?」
 それは分かっているが、彼にしたらこの世界よりも少年たちがいることのほうが気になったらしい。
「何でそこまで物分り悪いんだよ……レプリカって劣化するって聞いたけど、お前頭が劣化してるんじゃ……」
「待って下さい。彼は唯、純粋なだけです。純粋に僕たちがいることのほうが気になって、そっちを聞いているのでしょう。君のその質問は僕が答えます」
 優しいレプリカイオンは笑ってオリジナルをなだめた後、一息呼吸を置き、彼の目を見つめてこう言った。


「ここは……その後の世界。……その後の世界の狭間です」


「はざま?」
 彼は再び首をかしげた。するとそんな彼を見て、今度はシンクが説明を始める。
「早く言えば、お前がいるその地面がお前たちの生きてる世界。僕たちのいる上のほうが、世界から消えた者がいる世界」
 つまりそれは……
「もう、会えない人たちがいる世界?」
 アニスが言っていた。散った者には二度と会うことは出来ないと。
 もしも会えるのだとしたら、己が散ったとき。
 つまりそこにいる彼は…
「僕も……終わった人?」
 本当はそれを口にすることすら怖かったが、そう言わずにはいられなかった。
 自分は散ってしまったのだろうか?
 もしかしてさっきの攻撃の時に?
 もう、二度とアニスたちには会えないのだろうか?
 そう思うと涙がこぼれた。
「……それは違いますよ」
 悲しさで涙が目から、恐怖が心から溢れそうになった彼に手を差し伸べたのはレプリカのイオン。
「先ほどシンクが言った筈です。君のいる地面は君の生きている世界だと。もし、君が世界から散ってしまったのであれば、僕たちのように上にいるはずです。しかし、君は地面にいる。だから君はまだ散っていません」
「じゃ……また、アニスに会えるの?」
「それはお前次第だよ」
 今度はオリジナルが口を開く。
「お前が残りたいと思うなら、きっと戻れる。でも、思わなければきっとこっちに来る。だから、お前しだい」





 全ては己の意思
 願うか、願わないか
 思うか、思わないか
 生きるか、生きたくないか




 彼は少年たちの方を見て……
 自分の答えを選んだ






「……僕、アニスのところに戻りたい!」
 はっきりと答える。
 彼は少年たちといることより、アニスといることを選んだ。
 まだ、上には行きたくないと。
 それを聞いてシンクが一言。
「ま、普通はそうだろうけどね。地面に残ってる時点からそんなの聞かなくても分かってたけど」
 その言葉に彼は疑問を抱く。
 聞かなくても分かっていた? どういうことだろうか?
「なんで分かってたの?」
「最初から願うやつは上にいるからね。そこにいるってことは僕のようにこっちを選んだやつだけ」
 そのシンクの言葉は彼の疑問の答えでもあったが、もう一つの疑問をも生んだ。
「……じゃ、シンクはここに来たとき、最初からそこにいたの?」
 生きることを願っていなければ、地面にはいない。
 つまり上にいるということは……
「……ああ。最初から宙に浮いてたよ」
 それは彼が地面にいる事を……生きていることを拒んだということ。
「なんで? どうして?」
 それは、彼にしてみれば不思議でしょうがないことだった。
 生きたいと願うのは本能。しかし、シンクの中にはその本能がない。
 ……まるで欠落しているかのように。
「シンクは……戻りたくなかったの?」
「……じゃぁ、お前はどうして戻りたいと思うの?」
 今度はシンクからの質問。彼は少し考えた後、こう答えた。
「だって……アニスがいる。みんながいる。それに、やりたいことがあるもん! ガイが教えてくれた防御の技とかマスターしたいし、ティアが歌を教えてくれるって言ってたし、あと、ナタリアの驚くような料理も見てみたい! それに、アニスの教団建て直しも見てみたいし、手伝いたい。僕、やりたいことまだまだあるから……戻りたい!」
 彼は嬉しそうに戻りたい理由をすらすらと述べていく。
 きっと彼の頭の中は楽しいことでいっぱいなのだろう。
 それを見ていたシンクが言葉を漏らした。
「今の世界だったら……それが可能だ。だけど、僕の生きていた時は違う。それは無理だった。だから、僕らは元に戻ることを望まなかった」
「無理だった?」
 まだ、少し理解していない彼の為に、シンクの言葉をレプリカイオンが救い上げる。
「……君の生きている『今』は預言に頼らず、自分の意思で行動できるようになり始めています。でもここにいる三人は預言に縋る……預言が全ての世界で生きてきた。自由に考えるなんてこと出来なかったんです。預言に振り回された……自分の生き方を。だから、預言のある世界には戻りたくないと願ったんです」
「つまり……皆は『預言』てものがある世界が嫌いだったんだね」
 その言葉には返答はなかった。
 しかし、それは無言という名の肯定。
 彼の言ったとおり。




 オリジナルイオンは世界が生きることを許さなかった。預言がそうだったから。
 自分を受け入れてくれない世界など要らない、だから残りたくないと願った。


 シンクは世界に見放された。ガラクタとして生まれたから。
 最初から自分を望んでない世界なんてどうでも良い。だから生きたいという願いがなかった。


 レプリカイオンは自ら元の世界から消えることを選んだから。
 次に生きることが許されるなら預言のない世界をと願った。だから前の世界からいなくなった。




 どうして、己だけが地面に立っているのかようやく彼はわかった。
「……僕がここにいるのって、今の世界が好きだからなんだね」
 今はアニスたちのおかげで自分たちの考えで、意思で行動できるようになった。
 前のように誰かの決めた道を意に反して歩むことはない。
 そんな世界に生きているから、世界を愛し、世界に残りたいと願う。
 それが彼が地面にいる理由。
 三人の生きていた時代のように預言に沿わなくても生きていける。
 そこが違うから、彼だけは三人と違うように地面に居る。
「僕は……一度だけ、世界に生きることを許されなかった。預言に詠まれていなかったし、劣化品だったから。でも、今は違う。生きることを許されてる。アニスたちの所にいる。アニスたちのところが好きだから、戻りたいと思う。だから……」
 そこで一旦言葉を区切ると、彼は三人をみあげて、
「皆が戻りたいと思えるような世界にしたい! 預言のない、自分の進むべき道を決められる世界に! だから、皆があきらめた、やりたかったことを僕はしたい!」
 にこっと笑って、彼はそう断言した。もう、意思は変えない。固い決意が目に見える。それに対してシンクとオリジナルはあっけに取られた表情。レプリカイオンは無言で微笑んでいる。
「だって、こうやって会えないはずのみんなと会えたってことは、何か理由があるはずなんだもん! さっきの話し聞いてたら、皆やりたいこと何も出来なかったんだなって。預言があるからあきらめたことってあるでしょう? でも、今はあきらめなくていいんだから! 元の世界に戻るのはむりかもしれないけど、だったら代わりに僕が叶えたい! 君たちのしたかったこと!」
 楽しそうに目をきらきらと輝かせて彼は三人を見つめる。
「お前、誰がそんなこと頼んだよ」
 余計なことはしないで欲しいねと怒るオリジナル。
「はっきり言って迷惑なんだけど」
 目すらあわせることなく、冷淡に好意を拒絶するシンク。
「僕は結構嬉しいんですけど、駄目でしょうか?」
 嬉しそうな表情でオリジナルとシンクに問いかけるレプリカイオン。
 反応はそれぞれ。
「なんで、こう楽天的なやつなんだよ!! 誰も頼んでないっての」
「まぁまぁ、そう言わずに。言うだけならなんてことないですし、それで彼が了解すればきっと元の世界に戻りますよ。じゃないと、彼ここに居続けるかも知れません。早く彼を帰すためにも……ね?」
 反論するオリジナルをなだめる。
 アニスからレプリカイオンは人をなだめるのが上手だと聞いていた彼はその言葉を今実感する。あの一番怒っていたオリジナルを黙らせてしまったのだから。
「シンクもいいですよね?」
「もう早く帰ってくれるなら何でもいいよ」
 コチラは承諾と言うより投げやりな態度だが、何とか彼の意見は通ったようだ。
「よーし! 皆に戻りたいって思えるような世界にして見せるぞ!」
 その様子を見て、彼らは一人ずつ預言であきらめたやりたかったことをしゃべり始めた。





「預言が完全消滅すればそれで良いよ。あと、預言にすがってるやつ等も消えれば良い。預言があれば絶対に出来なかったあきらめたことだよね、これこそ。どう? やれる?」
 シンクのやりたいことはちょっと暴力沙汰だが、アニス言うとおりに教団を立て直せれば、預言を信じなくても人は生きていけるとみんなに分かってもらえるはず。だから、預言も消えるはずだし、預言にすがる人もいなくなるはず。
 時間はかかりそうだが、これならなんとかかなえることが出来る。



「自分で自分の消える日を的確に知らなくて良い、詠まなくて良い世界」
 オリジナルはこの世で一番酷な人生を送った人物。
 自分の軌跡を最後の日まで自分で詠むと言うことをしなければならない。
 結局それを歩み、従った。だからそれを消して欲しいの願う。
 もう、あんな恐怖、悲しみはごめんだと。
 彼の願いはとても繊細だったが、絶対に叶えると彼はここに刻む。



「僕のお願いは、大切な人が悲しい思いをせずに済めばそれだけで良いです」
 それは簡単でもあり、難しくもあった。
 きっと彼の言葉は世界中の人々を示す。きっと彼ではとても予想だに出来ないほどの人数。
 だけど、きっとやり遂げる。それは誰もがきっと望んでいることだから……





 三人の言葉を聞いた彼はよしっと体に力を入れた。
「絶対にかなえるから! それが僕の目標! アニスが教団を立て直すのが目標って言ってたから、それと同じくらい頑張るよ!」
 そう三人に決意を新たにしたことを言うと、彼はまぶたが重くなる。
「あれぇ?」
「時間だな」
「時間だね」
「時間ですね」
 三人は照らし合わせたかのように、台詞がそろう。
「時間?」
「そうです。君が元の世界に戻る時間になりました。良かった……今度こそ彼女に安心があげられる」
「オリジナルはアエリッタ馬鹿で、レプリカはアニス馬鹿か」
「誰かの馬鹿になれない人こそ本当に馬鹿だよ」
 三人が何か言ってるけど目が重い。
 彼は何とか眠気と戦っていた。が、負けるのも時間の問題。
「ごめん……もう、無理かも…… でも、絶対にかなえるよ! やりたかったこと!」
 彼はもう一度三人に約束する。
 シンクとオリジナルは、はいはいと面倒くさそうな表情をして
「次に来るときはもっと静かにしてよね。僕のレプリカなんだから。僕が馬鹿みたいだしね」
「てか、次あるの?」
 まるで何かの小話を二人でやっているような面白いやり取り。
 彼は面白いなぁと思いながらついに意識を手放すこととなる。
 そして、その場所での最後の声が聞こえた。
 目を閉じているから声だけしか聞こえないが、これはきっとレプリカイオンの声だ。しゃべり方が優しい。
 それはもう一つのやって欲しいことだった。










 お願いです。
 彼女に…安心を与えてください。
 彼女の手は何かを掴むことを知りません。
 何も帰らないその手を握り締めることしか知らないのです。
 だから、彼女に君という安心を伝えてください。
 どうか、帰ったときにそれをしてあげてください……





 フローリアン…… 無垢な者……










 フローリアンは何か重い感触を体に覚えつつも目を覚ます。
「ん?」
「え?」
 小さく発した言葉とも寝息とも取れる小さな口の動きをアニスは見話さなかった。
「フローリアン?!」
「ア……ニス?」
 視界はぼやけているものの、輪郭や色合いだけで分かる。自分に覆いかぶさるようにしていた重みはアニスだ。それを理解するとフローリアンは上体を起こす。
「アニス?」
「フローリアン!!」
 凄い勢いで首元に抱きついてきた。重い、でも嬉しい。
 だけど、アニスは泣いていた。いつもは泣かないのに…… 時々泣くけど、外では泣かない彼女がワンワンと泣いている。そしてよく見ればアニスは血だらけだ。
「どうしたの?! アニス!! 血だらけだよ?!」
 慌ててアニスの鮮血の部分をなでるフローリアン。
 それを見て、アニスはキっとフローリアンを睨む。
「これは私じゃなくて、フローリアンの血! 覚えてないの? いきなりモースの支持者の残りが奇襲かけて、フローリアンが攻撃されて…… 凄く血が出たんだよ?」
「あ……」
 そうか。
 自分は大怪我を負ったんだ。確かに少し体は痛い。
 でも、そんなに大きな傷口が見当たらない。見当たるといえば、お腹のあたりの服がばっさりと横に切られているくらい。
 しかし、その下にやはり傷口はない。
「怪我…… ないよ?」
「ティアとナタリアが必死でヒール系の回復術使ってくれたから、少しの痛みでどうにかなってるんだよ! ティアとナタリアのヒール系はかなり上級なものなんだよ? その二人を使っても痛みを伴うってどれだけ大変だったか……ほら、二人とも術使いすぎて寝てるでしょ?」
 アニスは少し離れた木々の隙間をさす。
 そこには炊き出しをするガイと疲れきって気にもたれかかり寝ているティアとナタリア。
 その二人にもやはり大量に血がついていた。
「僕、あんなに血出してたの?」
「そうだよ! 死ぬかもしれないと思って本当に心配したんだから! 戻ってきてよかったよー……本当フローリアンの馬鹿!」
 再びぽろぽろと泣き出すアニス。
 フローリアンは慌ててアニスの頭をなでた。
「ごめんね、ごめんねアニス。泣かないで……」
 何度頭をなでてもアニスは泣き止まない。
 本当に心配していたのだとフローリアンは痛感する。
「また、消えちゃうのかと思った……」
 彼に抱きつくアニスの手にいっそう力が入る。
 その時フローリアンはあの言葉を理解した。
 あの世界から帰ってくるときにレプリカイオンがつぶやいていたあの言葉を。





 −……何も帰らないその手を握り締めることしか知らないのです−





 アニスの手は還ってくることを知らない。

 親友の目の前から消えていく、寂しいときも

 大切な人が散っていく、悲しいときも

 戦友が跡形もなくなっていく、悔しいときも

 全て何もない掌を掴んでいた。





 彼女の手の平には今までに何も残らなかった。握ることしか知らなかった。
 だからレプリカイオンは言っていたのだ。彼女に安心を与えて欲しいと。
 きっともう彼女に寂しさを与えて欲しくないというレプリカイオンの願いだったのだろう。
「アニス……僕は戻ってきたから。……僕はここにいるから」
 フローリアンはアニスの右手を両手で包む。
「ここにいるから……ほら、触れるでしょ? だから、大丈夫。僕はまだ行かないから。皆のいる向こうには……」
 フローリアンが意識を取り戻したことにガイが気づき、ティアとナタリアも目覚める。
 暫くしたらきっとまた進みだす。
 この世界をきっと戻りたいと願う世界にするために。









 そう、僕はまだ向こうには行かないって決めた。
 こっちの世界にいたいと、生きたいと思うから。
 まだ、何もしてないくせにそっちには行けないもんね!









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作者より…
緑っ子祭様2に参加させていただいた作品です。
担当お題がまだ、何もしてないくせにと言う物で、
どう考えてもシリアスだったと思うのですが、
私が書いたらほんわかした話になりました。
こう、フローリアンは他の緑っ子と時々話が出来ると思うんです。
元が同じだからかどうかはわかりませんが、
何となくその辺にいるのは感知できると思う。
多分、彼はアニスだけでなく緑っ子全部の希望手あって欲しい。
そんな気持ちで書きました。
何はともあれ、参加させていただき、ありがとうございました!
2007.11 竹中歩