10cm




 昼下がりの役場。
 牧場の仕事を午前中で済ませ、アカリはアルバイトに来ていた。
 仕事と言ってもギルやエリィのように表立った仕事ではなく、主に二人に頼まれる資料の検索や、簡単な書類作り。
 その書類作りをこなしていた時に、ふとアカリは声を掛けられる。
「アカリさん、髪の毛伸びましたね」
 声を掛けてきたのはエプロンドレスにショートカットという清楚な格好の女性。
 役場の受付嬢のエリィだった。
「……そうですか、ね?」
 顔を上げたアカリは徐に自分の髪に手を伸ばす。
「えぇ。初めてお会いした時は肩にまで届いていなかったですから」
「あぁ……。そう言われてみればそうかもしれませんね。そんなに長く髪の毛切ってなかったんだ」
「長い髪の毛もステキですよ。でも……なんだか邪魔そうになさってますね」
 髪の毛が伸びたからと言ってそれが良いとは限らない。
 アカリのように活発的な女性には邪魔になる事もある。
「……確かに。髪の毛がないのは女性としては良いことなんでしょうけど、書類の方を見るたび、髪の毛が落ちてくるんですよ」
 下を向いていると自ずと下りてくる髪。
 今の状態では邪魔以外の何者でもない。
 それを聞くとエリィはエプロンドレスのポケットから何かを取り出し、アカリに渡す。
「良かったら使ってください。私も邪魔なときやお菓子を作る時は結わえるんです」
 それはシンプルな髪を束ねるためのゴム。黒一色の普通の髪ゴム。
「良いんですか?」
「ええ。私は予備がありますし、それに髪の毛が視界を塞ぐと目にも悪いそうですから」
「ありがとうございます! エリィさん!」
 女の子二人の会話。
 それを聞きながらも彼はずっと仕事に徹していた。





「それじゃ、お疲れ様でしたー!」
 夕方になり、役場を閉める時間。
 アカリは今日のアルバイトを終え、犬や牛達の待つ自分の牧場へと帰って行った。
「さて、後はこの書類を返すだけ」
「お疲れ様です」
 最後の一仕事のために席を立ったエリィに背後から声をかける。
「ギルさん。お疲れ様です」
「その書類は僕が返すとしよう。あなたは先に上がってください」
「え? でも……」
「彼女同様、あなたも女性ですから早く返す義務が僕にもあります」
 その生真面目な態度は町長の息子ギル以外の誰でもなかった。
「それでは……お言葉に甘えて」
 嬉しそうに笑ってエリィは書類をギルに手渡す。
「確か……明日から暫くご実家に戻られるんでしたね」
「はい。我侭を言ってすみません。どうしてもユバさんのところの修行の成果を両親に見て欲しくて……」
「いえ。親孝行するのは良いことだと思うので。親御さんにもよろしくとお伝え下さい」
 少し気の強い表情を崩すことなく、淡々と喋るギル。
「分かりました。でも、私がいない間、本当にお一人で大丈夫なんですか?」
「……もともと僕一人でやってましたし。それにいざとなれば父上が手伝ってくれといっています。それに島民もなんだかんだでお節介な人が多いので」
「それを聞いて安心しました。アカリさんにも声、掛けときますね」
 その言葉を聞いてギルは思わず書類を落とす。
「か、彼女には手伝ってもらわなくて結構です! 出来る仕事も限られてますし」
「でも……心なしか、アカリさんのいる時のギルさんは嬉しそうに見えるのですが……」
「気のせいです!」
 エリィは思わずくすくすと笑う。
 ここに来たときは仏頂面で何処となく近寄りがたい雰囲気をかもしだしていたギル。
 それが『アカリ』と言う人間が頻繁に来るようになって彼の内面が少しずつ見えてきた。
 きっと仏頂面が彼の本当の姿ではなく、アカリに必死でテレを隠して素直になれない彼が本当のギルなんだと。
「明日は折角の日曜日。良かったらギルさんご自身で頼みに行かれては?」
「だから、行きませんて!」
 そのからかいはその後暫く続いたと言う。












 日曜日。
 久々の雲ひとつない青空のおかげで気分良く目がさめた朝。
 彼は散歩がてらある場所へと足を運んだ。
「休みだとは分かっているが……」
 そのある場所の前で彼はたたずむ。
『仕立て屋シフォン』
 この街で唯一のおしゃれ関係の店。
 この店が出来た時、島民の若い女性はかなり喜んだと聞く。それを聞いたらここの家族が引っ越して来て良かったと思うが、そういうことが今は言いたいんじゃない。
 今日は欲しい物があって来たのだから。
 しかし、今日は定休日。開いているはずがない。
「他にそんな店があったか?」
「うちになんか用? 町長ご子息様」
「……?」
 代名詞で呼ばれたが、姿を確認できなかった。
 が、下を見てその姿を漸く確認する。
 確かここに住む姉妹の妹の方。接客を専門にこなす女の子だったはず。
「ルーミだったか」
「そうよ。仕立て屋シフォンの看板娘ルーミちゃんよ。で、何か用? 今日は定休日よ」
 ふわふわとしたツインテールにあしらわれた小さな花が彼女の可愛らしさを引き立てている。
 しかし、性格はギルが言うのもなんだが、少し気が強い。
 発言は歳相応なのだろうが、見た目が幼い所為のためちょっと生意気に見える。
「聞きたいのだが、この店にはリボンやゴムはあるだろうか?」
「髪用の? あるにはあるけど……。ふーん……」
「な、なんだ?」
 意味ありげに自分をまじまじと見つめるルーミに不快感を覚えるギル。
「まぁまぁってとこね。合格。いいわ、ちょっと待ってなさい」
 そう言って裏口から店の中に入るとルーミはいくつかの引き出しや、売り場の売り物を小さなかごに詰めると、再び裏口から出てきた。
「こんなとこかしらね」
 かごの中にはギルがリクエストしたヘアゴムやリボンだけではなく、ヘアピンや結い紐、その他いくつかの髪用のアクセサリーが入っていた。
「一応リクエスト通りリボンは持ってきたけど、髪の毛が短いとリボンは結びにくいわね。無難なのはヘアピンとかこの結い紐とか編み紐。もしくはカチューシャとかでも可愛いと思うわ」
「意外に種類が多いんだな」
 今までそんなものとは全く関係の無い生活をしてきたギル。
 そんな彼にとってルーミの勧めてくるヘアアクセサリーは未知の領域。
 じっくりと見てみるが、使い方がわからないものもいくつかある。
 一体どうすれば?
 そう思っていたとき、一つのアクセサリーが彼の目に留まった。
「これは?」
「ああ、そのなら結びやすいタイプかも。それはリボンなんだけど、結びやすいように裏に滑り止めがついてるの。普通のは何回も巻いて結びやすくするんだけど、それは一回巻けば良いやつ」
 普通のリボンはサテンやシルクと言うキラキラとした布を使っているが、それはどことなシンプルな素材で作られている。
 表面が少しざらついてはいるが、嫌な感じではなく、やんわりとした雰囲気がする。
「気に入った?」
「……あぁ」
「そう。ならそれにすると良いわ。残念ながら色はそれしかないけれど」
「いや、この色で良い。この色だから目に入ったわけだし」
 それは綺麗な紫、ラベンダー色とでも言うのだろうか?
 少し高貴な感じのする色。
「アカリなら、オレンジとか赤のほうが似合うと思うけど、そういうのも似合うかもね」
「彼女には高貴さが足りないからな。丁度良い」
 この返事を返した後、ギルはふと先ほどの言葉のやり取りに違和感を覚える。
「……僕は、相手がアカリだと言ったか?」
「いーえ。言ってないわ。でも、アカリなんでしょう?」
「た、確かにそうだが。なぜ君がそれを……」
「フ、フ、フ。このルーミちゃんの恋愛情報を黙ってちゃ困るわ」
 幼いのに。
 身長だって低いのに。
 なんだろうこの威圧感。
 どうしてか分からないが、ギルはこのことに関して逆らってはいけないような感じを察知する。
「で、とりあえず、それで良いのね?」
「あ? あぁ。頼む」
「了解。えーと、ラッピングはシンプルな方が良いわね。ギルさんの見た目から言ってごてごては似合わないし」
 喋りながらも、彼女の手先は凄かった。
 ポケットから取り出したラッピンググッズを駆使し、あっという間にリボンはプレゼント用へと変身をとげる。
「……これで、仕立てが苦手なのか?」
「う、痛いところをつくわね。そうよ、どうも接客業の方がなれてるみたい。て、そんなことはどうでも良いの。さっさとこれを持って行きなさいよ」
「そうだな。では、お金を……」
「お金はいらないわ。元々私も存在を忘れてるくらい片隅にあったものだし。それに、」
「それに?」
「私は恋を応援するタイプなの。まぁ、この島の若い子は皆応援するでしょうけどね」
 その言葉にギルは一気に赤くなる。
「別に色恋沙汰などそんなやましいものでは!」
「最初に私、合格って言ったでしょ? あなたなら大丈夫よ。さぁ、否定しても無駄なんだから行った行った!」
 ギルは小さくて、生意気だけれど、とても強い応援を背に受け、アカリの牧場へと足を歩ませていった。
「自分の好きな色を渡したくなる相手は、大抵好きな人と相場は決まってるのよねぇ……」





「たどり着いたには、着いたが……」
 その一歩が踏み出せず、ギルは先ほどから牧場で放牧された鶏になにやら話しかけている。
 あの後、そのままアカリの牧場へと足を運んだギル。
 しかし、家の扉を叩くと言うたったそれだけのことが出来ない。
 おかげでこうやって鶏と話して見たり、牛と話す怪しい人物と化しているわけだ。
「いつから僕はこんなに弱い人間になったんだ?」
 最善策と分かれば容赦なくそれを実行していた自分。
 たとえ、陰口を叩かれようと基本的に先陣を切る。
 なのに、今はそれが出来ない。
 この結い紐を渡してさっさと帰れば良いだけなのに。
 もどかしい自分に腹が立つ。
「……えぇい、もう! お前ついて来い!」
 一羽の鶏を小脇に抱え、ギルは立ち上がる。
 この鶏は支え。
 彼女の家の扉を叩くまでの味方。
 そう強引に自分に言い聞かせて、ギルは家の方へと向き直る。
 彼女の家は一人暮らしには申し分ないログハウス。
 牧場の中に牛舎や鶏舎と共に建っており、外観はとても綺麗だ。
 窓は動物や作物がいつでも見やすいようにと牧場に面してつけられている。
 ギルはその窓の前を通り、中に人がいるのかをまず確認することにした。
 それで気づいてもらえたら、扉を叩く勇気も要らなくなるので、一石二鳥。
 幸いなことにカーテンはあいている。
 実際、島の住民も窓から声を掛けることはあるし、自分もそうした経験がある。
 だから、やましいことはないと思われるが、やはり勇気は必要。
 さり気なく、あくまでさり気なく……そう思って窓を横切る。
 しかし、目に入ったのは、



 鏡の前で思いつめる姿。
 手には毛狩りバサミ。
 それを喉元に突きつける。



 その光景にギルは最悪の事態を予想した。
「あいつ! まさか!?」
 鶏をその場に置き、ギルはノックもなしに扉を開ける。
 嫌な予感は先走り、明日の新聞の見出しさえ浮かんだ。
「アカリ!」
 その時の慌てっぷりは酷かったと思う。
 多分扉を壊さないようになんていう配慮も出来なかったし、アカリの腕を掴む力も加減できなかった。
 それくらい彼は慌ててアカリの手から毛狩りバサミを奪い取る。
「ぎ、ギル!?」
「この、バカ!!」
 予想外の人物の登場にドレッサーの前で呆然とするアカリ。
「な、なんで?」
 その呆気にとられるアカリの顔をみて、ギルの怒りは爆発した。
「このバカモノ! なんでもあるか! いくら牧場が大変で生活苦だからといって自殺を図ろうとするバカがどこに居るんだ! お前が死んだら外にいる羊や馬はどうなる!? なぜ一人で悩んだ? どうして僕に相談しない? 金のことでも相談にも乗るし、お前さえ良ければ僕はお前を貰っ……」
「ちょ、ちょっとギル落ち着いて!!」
 頭ごなしに怒るギルを何とか落ち着かせるアカリ。
「な、何を勘違いしたの? 私自殺なんて思い立ってないよ?」
「しかし、これを喉元に……」
「喉元? 髪の毛切ろうとしてただけだけど……そう見えたの?」
「髪の……毛?」
 その言葉でさっき窓の外で見た光景を思い出してみる。
 ドレッサーの前で座り、真剣な表情をしてハサミを掴んでいるアカリの姿。
 ……見える。
 確かに髪の毛を切ろうとしている姿に。
 しかし、この場合、殆どの人間がギルのようにとるだろう。
 アカリの言うことに真実味はないが、考えてみればアカリの性格からして動物達を残して死ぬことはないだろう。
「じゃ…… 本当に髪の毛を切ろうと?」
「うん。でも、驚いた。ギルが行き成り入ってくるから。しかも訳のわからないことは言い出すし。なんだっけ『お前さえ良ければ……』」
「だぁぁぁぁぁ! なんでもない、なんでも!」
 思わず奪い取ったハサミを振り回しそうになるが、そこは冷静に戻り、声だけを荒げる。
「分かった、分かったから。だからハサミ返して? 髪の毛を切りたいの」
「それはやめておけ」
 落ち着いた雰囲気を取り戻したギルが一言をそう言い放つ。
「なんで?」
「お前が自分できるほど無謀なことはないぞ? お前のドジは天下一品だし、無茶振りも見てて呆れるし、そそっかし……」
「すいません……」
「え?」
「……すいません、すいません……。ドジで無茶振りでそそっかしくてごめんなさい。生きててごめんなさい。不器用でごめんなさい……。すいません……」
 ギルの口任せな言葉にアカリはどんどんと落ち込んで行き、気がつけば黒い負のオーラを放っていた。
 どうやらどん底まで追い詰めたらしい。
「いや、それが悪いというわけでなく…… 単に自分で切るのは止めろと良いたいだけで……」
「でも…… この町美容院ないんだもん。だから自分で切ろうと……」
「船に乗って何かのついでの行けば良いんじゃないのか?」
 その提案にアカリは笑って優しく首を振る。
「ギル……窓の外に何が見える?」
「窓の外?」
 カーテンが開けられた室内の窓からは外の光景が綺麗に見える。
 そこから見えたのは、アカリが苦労してここまでしてきた牧場の姿。
「作物は一日でも水をあげないと実がなるのが遅くなるし、下手をすれば枯れる。動物達なんて一日でも餌やりを忘れようものなら、それが命取り。ここにはね、私しか頼れない物がいるの。私にしか出来ない物たちが沢山あるの。だから、ここを離れるわけには行かない。だから船に乗って何処かへ行くなんて出来ないよ」
 その言葉にギルは自分の軽はずみな発言を恥じた。
 自分は町の人達がしている事をそのまま伝えただけに過ぎない。
 皆、髪の毛は何かついでで島を出る時、ついでに切ってきたり、若い女性に関しては態々切りにいく者もいる。
 しかし、それが出来るのはなぜだ?
 自分の代わりがいるからではないのか?
 自分がいなくても大丈夫だから。
 そういう理由があるから島を離れられる。
 でも、アカリの場合はそうじゃない。
 自分の代わりはいない。
 それを理解すると、ギルは深々と頭を下げた。
「すまない」
「頭上げてよ。ギルが謝ることなんてないんだから。ギルは良かれと思って言ってくれたんでしょ? だから気にしないで」
「いや。軽率な発言だった」
「そんなこと言ったら、自殺に見えるような格好で髪の毛を切ろうとしてた私も悪いんだからさ。ね、おあいこ」
 アカリは立ち上がって強気に笑って見せた。
 その笑いがあまりにも快活すぎて、ギルもつられて笑う。
「お前がそういうなら……そういうことにしてやろう」
「そうそう。……でも、髪の毛どうしようかな。実際牧場仕事する時かなり邪魔なんだよね。一応ギルの言うとおり船に乗ってきりに行くとしたら……当分先かな。実家に帰るついでとか」
 アカリの思わぬ発言に、ギルは思わず喋る。
「……僕は長くても良いと思うぞ」
「え?」
「長くても、束ねてれば良い。だから……実家に帰ることなんてない」
 それは本心の言葉ではなかった。
 本当は髪の短い方が好きだ。
 それが元気な彼女らしいと思うから。
 でも、実家に帰るくらいなら髪なんか態々切らなくて良い。
 だってそのまま……
「昔、実家に帰ったまま帰って来なかった人たちがいた。やはり島では暮らしにくいと。そんな風にお前も帰ってこなくなったら嫌だ……」
「ギル……」
 だから、お願いだ。
 この島からを離れないで。
 自分から……離れないで。
「……離れないよ、だってここには私の居場所があるから」
 アカリはそう言って部屋の窓を開ける。
 気持ち良い涼しい風と牧草の香りが部屋の中へ入ってくる。
 部屋の中なのに自然の中にいるような心地の良い空間。
「こんな気持ちの良いところ、他にはないよ。私、この島大好きだから」
 そう言って笑うアカリの笑顔はさっきまでとは違うキラキラとした笑顔だった。
 まるでやすらぎをくれたあの樹のような、何かを包み込むような優しい笑顔。
「じゃぁま、暫くは町を離れず、髪の毛も何とかして牧場頑張ろうかな。そのうち髪の毛は切る機会もあるだろうしね」
 切り替えが早いのもまた彼女の長所。
 それを確認すると、漸くギルはここへ来た目的を思い出す。
「なら、これをやろう……」
「え?」
 おほんと、わざとらしくセキをして、ギルは小さな紙袋をアカリに渡す。
 手のひらにのるほど小さくて、白いシンプルな紙で出来た封筒のような袋。
 赤いリボンで出来た小さな花がアクセント程度に色を添える。
「これは?」
「あの……なんだ、べ、別にお前のためとか言うわけじゃなく、仕事に支障をきたさないようにと……」
 本当のことなんて言えない。
 だから何時も見たくしどろもどろでテレを隠す。
 それが分かっているのか、くすくすと笑うアカリ。
「なんか、ギル変だよ? とりあえず貰って良いってことかな?」
「ふん。好きにしろ」
「ありがとう。じゃぁ、開けさせて貰うね」
 封を開けた袋を逆さにすると、手のひらになにやら紐のようなものが落ちてきた。
「リ…ボン? じゃないか。というか、微妙にリボンのような……寧ろ結い紐?」
「そうだ。それならお前の髪にも結べると、あの生意気な仕立て屋が……」
「え? もしかして、態々シフォンに行ったの?」
 思わず、口が真実を語ってしまった。
 本当はたまたま家にあったからやる等と適当な事を言ってごまかそうと思っていたのに。
 緊張するとどうやってもフォローの方に頭が回らない。
 おかげで既に脳内回路はパンク寸前だ。
「お、お前には僕のような高貴さが足りないからな。それをつけて、少しでも上品になると良い」
「上品じゃなくてごめんね!」
 少しばかりアカリを怒らせたらしく、ちょっと焦ったがあまりにもアカリが嬉しそうに笑っているので、フォローする前にコチラまで笑ってしまった。
「不思議な奴だな」
「そうかな? でも、嬉しいから今は何を言われても良いや」
 大事そうにそのリボンを見つめるアカリ。
 それを見て、ギルはリボンをアカリの手から取ると、
「ちゃんと座れ、結んでやる」
「良いの?」
「お前に任せると結べなさそうだからな」
「もっと、言いようってものがあると思うんですが……」
 ぶつぶつ文句を言うアカリを鏡の前に座らせ、くしを手に取り、髪の毛を梳かす。
 本当は女性の髪の毛に触るなんて、母親の時以来だ。
 少しばかり緊張したが、アカリの髪に触れる事で、それがなくなっていく。
 彼女の髪は牧場仕事している割には綺麗だ。
 確かにはねていたり、癖のある髪質だが、不思議と心地の良い髪。
 その心地の良い髪を一つにまとめると、一旦リボンを口に銜え、最終的に両手を使い髪を束ね、そのスキに一気にリボンで結ぶ。
 ルーミの言っていたように滑り止めのおかげで初めての自分にも簡単に結ぶことが出来た。
「ほら、出来たぞ」
「わ! 凄い、ギル! なにやっても器用なんだね」
 鏡を見ながら何度も確認するアカリの姿を見れば、何も言うことはない。
 かなり満足だ。
「ポニーテールなんてかなり久々だよ。本当にありがとうね、ギル!」
「ふ、ふん! 別にこの程度のことなんてことはない。それよりも、明日からはちゃんと手伝いに来い。エリィさんが実家に帰られているんだ」
「そうなんだ。分かった。牧場の仕事が終わったら、手伝いに行くよ」
「ああ。頼む。じゃぁ、僕はここで失礼する」
「うん。ありがとうね、ギル!」
 もう、ここにいないほうが良い。
 だって
「あんなに可愛いなんて不意打ちだろ?」
 流石に隠すのも限界だ。
 何時もは何とか笑って隠すのに、今日はそれどころじゃない。
 表情がないのに、顔だけが赤い。
 ……どうやら長い髪もまんざら捨てた様子ではなかったようです。





 次の日。
 ギルは朝からその出来事に驚いた。
「お、お前髪はどうした!?」
「切っちゃいました!」
 牧場の仕事が終わったからと、手伝いに来たアカリの姿に思わず、手に持っていた書類を落とす。
 昨日まで暫く切らないといっていた髪の毛は二人が出会った時のものに戻っていた。
「どこで切ったんだ!? まさか、無茶して自分で……」
「まさか。ルーミちゃんに切ってもらったの。流石オシャレに関心のある子だよね。こんなに綺麗にしてくれたの。でも、何で切りながら泣いてたんだろう? 誰かが報われないとか言ってたのような気が……」
 多分それは自分のことだとギルは確信する。
 確かに報われない。
 折角彼女のためにあげたリボンも一日でドレッサーにでもしまわれたのだろう。
 これはルーミじゃなくても、涙が出る。
「それで? 私は今日なにをすれば良い?」
「あ、えーと……とりあえず、ワッフルタウンの昔の資料を探してきてくれ。何か島の活性化に繋がるものがあるかもしれない」
「了解ですー!」
 とたとたと、二階の図書室に向かった明かりを確認して、ギルは大きくため息をついた。
「ま、あれが彼女らしいか」
 自分も仕事を始めよう。そう思ったとき、
「ギルさーん、いる?」
 市役所の扉が開く音。
 珍しい来客だ。
 ふわふわとしたツインテールが目に入る。
「君は……」
「昨日はどうも」
「こちらこそ。で? 僕に何のようだ?」
「……アカリさんの髪の毛見ました?」
「あぁ。昔の彼女だな」
 それを聞いてルーミはがっくりと肩を落とす。
「ご愁傷様です」
「やはり僕を哀れんでいたか……」
「だって、だって! ここまでして、相手に伝わらない男性なんて私はじめて見たんだもん! 可哀想すぎて泣けてきちゃうわ!」
 涙を流してはいないが、わざとらしく手に持ったハンカチで目を被うルーミ。
 流石にここまでされると、嫌味にしか聞こえない。
「で、君は何の目的があってここに?」
 すこし、怒りのこもった言葉でルーミの用件を聞く。
「あ、ああ。そうでした。これを渡しに」
 ルーミはポケットからなにやら長いものを取り出すと、ギルに手渡す。
「これは……!? あいつにやったリボンか?」
「そうなんです。昨日髪の毛を切った時に返し忘れちゃって。渡しといてもらえます?」
「なぜ、本人に返さない?」
「ギルさんが返した方が、絶対にギルさんの好感度が上がりますから」
 この子は本当に恋の駆け引きが上手だと、彼は心の中で思った。
「わかった。彼女に返しておこう」
「そうしてもらえると助かります。でも、なんで行き成り髪を切ろうとしたんでしょうね? アカリさん」
「それに関しては僕も分からない。何も言っていなかったから」
「そうなんですか……」
 カウンターを挟んで二人は頭を抱える。
 暫く続くかと思われた沈黙。
 しかし、それは役所の来訪者によりあっけなく幕を閉じた。
「よーっす! 壊れたって言う机見に来たぜ!」
「ごめん、また図書室貸して」
 木工所ベーグルの跡継ぎ息子ルークとキルシュ亭の看板娘のキャシーが扉を開けて入ってくる。
 二人ともギルの幼馴染だ。
「二人とも何時も元気だな」
「そりゃそうだよ。人間元気がなくっちゃ、何も出来ないだろ?」
「そうよ? 元気が一番よ。……でも、あんたはそうじゃなさそうね? ルーミちゃんも」
「あははは。ちょっと考え事がありまして」
「まぁ、たいしたことじゃない」
 これ以上話を大きくするわけには行かない。
 そうしてしまったら、ギルがリボンを送ったことさえばれてしまう。
 ギルもきっとそれを望まないだろうし、それを分かっていたルーミもごまかす。
「そう? なんかあったら相談してよ?」
「ああ。オレたち島中の人間はいつだって味方だからな!」
「ありがとう、お前達」
 ギルは元気の良い二人に感謝の言葉を述べる。
 そうだ、悩んでいたってしょうがない。
 いざとなれば本人に聞けば良いだけの話だ。
「じゃ、図書室借りるね……って、そういえばさ、」
 図書室へと向かうキャシーが階段で足を止めた。
「昨日アカリがうちの酒場に来たんだけど、」
 その言葉にギルは再び書類を落とす。しかし、直ぐに冷静さを装い、かき集めた。
 よほど、アカリと言う言葉に敏感になっているらしい。
「あ、アカリがどうかしたのか?」
「その様子じゃ見てないのね? 昨日凄い可愛い髪型してたのよ? 今まで見たことのないような本当に可愛い姿」
「あ、オレも酒場に行ったから見たぜ。一瞬誰かわかんなかったもん」
 どうやら、アカリはあの髪型のまま昨日は過ごし、その足で酒場に足を運んだようだ。
「でさ、おじさんたちから凄く可愛がられてたんだよ。もう、本当に。うちのお父さんなんて飲み物サービスしてたし」
「確かに可愛かったよな。途中でおっさん達からかいだしたけど。でも、もったいないよなぁ。もう切っちゃったんだろ?」
「だよね。朝一でルーミちゃんに切ってもらうって言ってたし。ルーミちゃん、アカリ行ったでしょ?」
「え? えぇ。確か本当に朝早くだったわ……七時ごろだったかしら? それから直ぐにカットしたもの。でも、その話し方だと、二人はもしかして髪を切る理由知ってたの?」
 ルーミはすかさず、その話題を拾い、話に盛り込む。
「うん。なんでも、牧場仕事に邪魔になるからとか言ってたわ。でも、もう一つ理由がったわよね?」
「そうそう。その時つけてたリボンか? それは凄く大事なものだから汚したくないんだと。特別な時にだけ付けたいから、綺麗な今のうちにしまっておくっていってた」
 それを聞いて、ルーミがにやっと笑った。
「ふぅ〜ん♪ そういう意味だったんだぁ。ギルさん、意外な所に答えがありましたね」
「な、なぜ、そこで僕に話題を振る!?」
「まぁまぁ、良いじゃないですか。皆様、これからもステキなプレゼントは仕立て屋シフォンでお願いしますわ」
 スカートを広げて、つつましく頭を下げるルーミにルークとキャシーは頭をかしげる。
「う、うん? よろしくね」
「あ、あぁ。オレもなんかあったらよろしく。て、なごんでる場合じゃなかった。今日はここの仕事が終わったら、アカリの所の仕事にも行かなきゃならなかった! ボアンと親父が先に行ってんだ!」
「アタシも。今日は仕込みの手伝いがあるからいる本見つけたら帰んなくちゃ」
「私もだわ。お姉ちゃんとおばあちゃんじゃ接客がうまくいかないかもしれないし」
「では僕も仕事に戻るとしよう」
 そういって、四人は目的のために解散する。
 その去り際にルークがぽつんとある言葉を漏らした。
「でもさオレ、アカリがあんなに可愛いって知らなかった。もしも、結婚相手にするならあれくらい可愛くて、元気な子が良いな。ハンマー振り回すとかカッコいいじゃん!」
 その一言がいけなかったのだろうか?
 次の瞬間、大変珍しい光景が訪れた。


「お前などにアカリを渡せるかぁぁぁ!!」


 書類を床にぶちまき、カウンターへと足をかけ、ルークの胸倉を掴むギル。
 それは今までに見たことのないような彼の姿だった。
 しかし、驚くのルークだけで、キャシーとルーミは笑っていたという。
 それは二人がこれをみて、ある事を確信してしまったから。
 その確信が村中の若者に伝わり、応援することになるまで時間は要さなかったという。



 彼のポケットに入ったラベンダー色のリボン。
 それがまた見られるのは、いつのことか。
 牧場の仕事が落ち着いて、また髪の毛が10cm伸びた頃?
 そう、例えば
 『結婚』でもしたら見れるのかもしれない。








------------------------------------------------------------END---
作者より…
お祭に投稿させていただいた作品です。
そして初めて牧物書かせていただいたお話の一つ。
やすら樹を始めた時、最初はギルではなく、チハヤに興味がありました。
しかし、ギルの性格さとか、一生懸命さに惚れいつの間にかギルアカに
きりもみ回転しながら嵌っていました(笑)
このお話は10cmというキーワード以外に彼の好きなラベンダー色を組み込みました。
好きな色を好きな人に送るという好意は私の中では特別なので。
何となく、その人をさり気なく気にしているという感じがするのです。
不器用な彼なりの思いの伝え方としてはピッタリだと思い、
今回このお話を書かせてもらいました。
アカリはしっかりしていますが、ちょっとばかり男勝りイメージがあるので、
ちょっとばかり勇気が足りないギルを引っ張っていって欲しいですね!
このお話がかけて本当に良かったと思います。
また、何かの機会があれば是非書きたいです。
2008.9 竹中歩