ものすごくシャクだ。



 天気予報が本格的な冬を告げて数日。
 漸く気温の低さを実感した日の放課後にシュウとハルカはまぶしい夕日の差し込む教室でノートとにらめっこをしていた。
「シュウ……終わった?」
「まだだよ。あと三分の一と言う所かな。君は?」
「私は二分の一。……今日も帰るの遅くなりそうかも」
 はぁとため息をついてハルカは再びノートと戦う。
 お互いノートの種類は違えど、タイトルは一緒で『城都学園生活レポート』と題されている。
 これは学校間連携の生徒に義務付けられている日誌のような物で、一週間に一度その週にどんな事を行ったか、授業はどんな物があったかを書くようになっている。
「今週あったなことなんてそんなに覚えてないよ……」
「まぁ、君が覚えているのは今週の晩御飯のメニューぐらいだろうね」
「なんですって?」
 怒った顔をしてハルカはシュウに視線を向けるが、当のシュウは涼しい顔をしてペンを走らせる。
「全く! 本当に口だけは達者なんだから。大体、なんでそんなに書くことがあるの? そんなに大きなことってあったっけ?」
 シュウに比べてハルカはペンが進まない。それどころか既にペンはハルカの手から離れてノートの上に転がっている。
「大きなことはなかったさ。でも、授業でどんな事を習ったとか書けばけっこう進むよ」
 眼鏡越しに笑う彼の目はいつも以上に嫌味に見えた。
「シュウの顔見てたらなんかイライラしてきた……。それにお腹もすいたかも」
 時計を見てみると既にノートとも時間を過ごして三十分ほど過ぎていた。
 思春期といったら今の時間帯はお腹が減る頃。ハルカこそ例外ではない。
「先週もそんなこと言ってたね。似たような時間帯に」
「そうだっけ? でも、この時間帯ってお腹すくんだもん」
 既にハルカの脳内はレポートから今日のおやつへと切り替わっていた。こうなっては誰も止められない。
「流石の僕もその食に対する情熱は敵わないよ」
「ちょっと聞いたら褒め言葉に聞こえるけど、それって要約すると食い意地が張ってるってことよね?」
「おや? こういうことはすぐに分かるんだね。ちょっと感心したよ」
 そういって小ばかにしたように笑うシュウ。
 きれいなエメラルドグリーンの瞳で笑われたハルカはかなり立腹した様子で席を立つ。
「シュウの嫌味はすぐに分かるわよ。言ってることが正しいから物凄く癪だし、かんにさわるから!」
 そう言い放つと机の脇にかけているカバンと机の上に出し、ハルカは財布を取り出した。
「……だけどなんと言われてもお腹はすいてるのよね」
 どうやら言われてもしょうがないとは分かっているらしく、少ししょぼんとした態度にはなるが、すぐにそれは切り替わる。
「というわけで何か買ってくるわ。シュウは何が良い?」
「僕は別に……」
 お腹がすいていないわけではないが、何かが食べたいというわけでもない。
 だからハルカの問いに上手く答えられないらしい。
「じゃ、『あんまん』なんてどう? 寒くなってきたから丁度良いと思うかも」
「甘い物は遠慮したいんだけど……」
 シュウは甘い物が苦手である。
 もちろんその事をハルカは知っている。が、なぜ進めてくるのだろう?
「それくらい知ってるわよ。でもさ、学校の売店のあんまんてあまり甘くなくておいしいんだよ? 一度食べてみたら良いと思うかも。私も食べたいし」
 やる気になっているハルカにないお言っても無駄だと思ったシュウはその提案に乗ることにした。
 実際、そこまで言われると気になる。
「そこまでいうなら、一度ご相伴に預かるよ」
「了解。じゃ、あんまん二つ買ってくるわね」
 ガラガラと扉を開けてハルカは駆け足で廊下を走って言った。
 人が少ない教室。彼女の足音は階段を下りるまで響いていた。




「ただいま!」
 茶色い紙袋を持ったハルカが帰ってきたのは五分後のこと。
 その顔は教室を出る前と違って偉く上機嫌だ。
「けっこう人が多かったかも。皆お腹がすいてるのよね。はい、シュウ」
 ハルカは紙袋から白い袋に包まれた饅頭を渡す。
 それは寒い教室にありがたいくらい暖かかった。
「ありがとう」
 シュウはお礼を言うと、まんじゅうを袋から取り出し二つに割る。
 中からは粒あんが顔を出した。これが甘くないというあんまんらしい。
「いただきますかも!」
「いただきます」
 ハルカは二つに割らずにそのままかぶりつく。
 言ってはなんだが、食べ物を目の前にしたハルカは物凄く良い笑顔をすると思う。
 ひいきとかそんなものではなく、ただ純粋に可愛いと。
 それを見ながらシュウもあんまんを口に運ぶ。
「……おいしいね、これ」
「でしょ? 人気高いんだよ、それ」
 上品なあんこの甘さだけが広がる。変に甘くなくて、あんこ本来の甘さが際立つとでも言うのだろうか? 確かにこれはおいしい。
 その余韻に浸っていたシュウだが、かすかに違う香りが鼻に届いたことに違和感を持つ。
「ねぇ、一つ聞いても良いかい?」
「ん? なに?」
 饅頭を左手に持って、それを頬張りながらペンを走らせているハルカにシュウは向き直り、疑問を問いかける。
「もしかして二つ食べてる?」
「え? 一つしか食べてないかも。どうかした?」
 変な問いにハルカは饅頭を口から放してきょとんとした表情をする。
「いや、あんまんじゃなくて肉まんの香りがしたような気がして……」
 二人ともあんまんを食べているはずなのに、かすかに漂う肉まんの香り。違和感を抱かずにはいられない。
「あぁ、なんだそのことね。あんまんはそれが最後の一つだったから、私は肉まんにしたの。だからこれの香りかも」
 何事もなかったかのようにハルカは再び饅頭を頬張る。
 『あんまん』だとシュウが思っていた『肉まん』を。
「……ふーん……」
 どうかしたのだろうか?
 シュウは何か面白くないかのように低音な返事を返す。
「ど、どうしたの? もしかして肉まんの方が良かった?」
「いや、別に。さて、レポート終わらせようか」
「う、うん?」
 シュウの行動に疑問を持ちつつ、ハルカは肉まんを食べあげて、レポートに取り掛かった。
 



 ハルカは知るよしもなかった。
 どうしてシュウが面白くなさげな顔をしたのかという理由を。


「君に譲られるなんて……凄くシャクだね」


 小さな、小さな独り言。
 女の子に、意中の人に譲られた心情。
 ちょっとだけカッコ悪い。
 シュウに芽生えた小さな悔しさ残るの放課後でした。





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 作者より……
 シャクに触るってなんなのかと考えた所、こんなお話。
 多分、ハルカはいつもシュウの言葉が癇に障っているので、
 たまにはシュウに味わってもらおうかと思ったんです。
 しかも、自覚無しだと尚更シャクに触るのではないかと思って。
 いつも完璧な彼が時折感じるハルカへの気持ちです。
 こんなことが次の教訓になって、シュウはカッコよくなると思うのです。
 世の中のこういう学生さん、頑張ってください!
 こういうのは進むための糧のはずだと思いますので!
 全力で応援します!

 2008.11 竹中歩