既に会話をしなくなってどれ程の時間が経っただろう?
 三十分? いや、一時間は経っている筈だ。
 それでも秒針は進む。
 チクタクと言う特有の音と、シャーペンの音と共に。




土曜日は太陽も手抜き気味





「………」
 一人は黙々と英語のスペルをノートに書き込み続け、
「………」
 一人は淡々と数学の参考書を片手に公式をノートに書き写している。
 閑散とした空間。
 それは自習室と名付けられた寮生専用の学習室。床には絨毯が敷かれ、そのまま床に座るタイプの部屋。テーブルは丸を基調としたものが置かれ、椅子の使用も許可されている為、生徒は好きな形で勉強が出来る。
 パソコンや多くの資料などもあり、普段ならもっと多くの学生が利用しているが、今は二人の他に生徒は見当たらない。
 きっとそれは時間の所為だろう。
 今は深夜。と言うかもう明け方である。
 そんな理由もあって、いつもなら会話の進むはずのコンビでさえ、言葉が少ない。
「………もう限界かも」
 ピンクのシャーペンを手から離して、少女は机に突っ伏した。
「だろうね」
 その光景を見て、対面に座る少年は少し笑う。
 ハルカとシュウ。
 この城都学園においてちょっとした有名人。
 恋人なのか、親友なのか、ライバルなのか。
 どんな仲なのかと聞かれたら、きっと質問をされた人は困惑する。
 そんな曖昧でかなり親密な仲の二人。
 なぜこんな時間に勉強をしているのだろうか?
「勉強を始めること約九時間……もう目がチカチカする……」
「でも、こうやって勉強したいといったのは君だろう? わざわざ自習室深夜使用許可までとって」
「た、確かにそうだけど、まさかこんな時間まで勉強するとは思わなかったかも」
 ぶーっと頬を膨らませてシュウを上目でかいで見るハルカ。その視線を受けてもシュウは笑みを絶やさない。
 嫌味を持った小悪魔のような笑いを。
「『昼間に睡眠をとって、夜の方に集中したい』そう言って、夕方に仮眠をしたのは誰だっけ?」
「……私よ。だって、眠かったんだもん!」
「そりゃね。あれだけテンション上げてネットしてたら翌日は目が痛くて眠いと思うよ」
「それは後悔してるわ」
 理由を述べても、それはシュウの前ではいい訳にしかならない。
 全て正論で返されてしまうのだから。
 それに、
「どうして同じ時間起きてるシュウはそんなに目が冴えてるのよ……」
「僕は力の配分をしてるだけだよ。君のようにテンション上げたり下げたりそんな器用な事は出来ないから」
「それって回りくどく『不器用』て言ってない?」
「おや? それが分かるならまだ勉強できると思うよ?」
 嫌味を言われた上に、これ以上勉強しろとまで言われた。
 本来なら言い返してやりたいところだが、流石にもう頭が働いていない。
「うー……言われたい放題かも」
「『言いたい放題』だよ。全く、テストが近いから勉強したいって言った人の台詞とは思えないよ。誘った相手より先にダウンして、悪態までつくんだから」
「悪態じゃないわよ。真実を述べただけ。でも、眠い……てか、きり無いわよ! いつまでやるの?」
「僕はまだ続けられるけどね」
「私はもう限界なの! 考えてみれば、誘ったのは私なんだから、私が終了時間を決めてもいいんじゃない! という訳で、この辺で……」
「普通は誘った相手に時間を聞くというのが礼儀だと思うけど?」
 教科書など机の上の下を片付け始めたハルカに上から目線でものを言うシュウ。
 確かにこういう場合、相手の時間も聞くのが常識だ。間違ってなどいない。
 間違ってはいないが、その言い方がむかつく。
「じゃ、シュウは何時までが良いと思うのよ!」
「なぜ、喧嘩ごしで言うかな……」
「そうさせてるのはシュウでしょ? で、何時まで?」
「……外に日がさすまで」
「は!?」
 言葉に出されたのは『時』ではなく『情景』だった。
 思わず素っ頓狂な声がでる。
「外に明かりがもたらされるまでと言う意味だよ」
「それは分かるけど、それって何時よ?」
「いまだと……あと三十分くらいかな」
 それを言われてハルカは時計を見る。
「となれば、あと三十分勉強すればいいのね?」
「まぁ、そういう事だね」
 ハルカはシュウの返事を聞いて頷く。
「分かったわ。三十分くらいね。その太陽とやらが顔を出すまでシュウに付き合うかも」
「付き合うって……君から誘ったのに。まぁ良いけどね。あ、そこの英語のスペル書きなおすと良い」
「え?」
「ノート三ページ前から、小文字の『e』の部分が『a』になってる所が幾つかあるよ」
「は、早く言ってよー! 変な覚えかたしちゃったじゃない!」
 やはりシュウは優しくない。からかって面白がっている。
 ハルカは一体、何文字書き直せばいいのだろうか?




 三十分後
「……やっぱり、こうなるか」
 スペルミスを書き直し始めてしばらく、ハルカは睡眠と言う名の妖精にいざなわれて、夢の国の住人となっていた。
 こちらが提示した時間はもちろん守れていない。
 しかも机にうつ伏せになるのではなく、後ろに倒れこんで寝ている。
 転寝とか、まどろむと言うレベルではなく、本格的な熟睡モードだ。
「だから、夜にしないほうが良いって言ったのに……。君は夜は強くないんだから」
 シュウはそう言って立ち上がり、部屋のエアコンのモードをナイトモードに切り替える。
 こうすると、寝るときに最適な温度と湿度に保たれる。
 さらには持参した上着をかけておく。ここまですれば流石に風邪は引かないだろう。
「ちょっとやそっとじゃ起きないからね」
 起こしてもいいと思ったが、こうなるとハルカは起きない。
 起きても完全に寝惚けまなこなのでちゃんと部屋に帰れるかも怪しい。
 抱えて部屋へ返すにも、この時間に女子寮に行くのは流石にまずい。
 となれば、ハーリー先生か、サオリ先生が起きるまでこの状態が無難と言うものだ。
「あの時返してあげればよかったかもね……。だけど、君の寝顔は見られなかったことになる。そう考えると、返さなくて良かった。……なんて、君は知ったら怒るだろうけど」
 そう、きっと顔を真っ赤にして怒るだろう。
 寝顔を見られたなんて言って。
 思春期の女子で寝顔を見られて喜ぶ人はそうそういないだろうから。
「とりあえず今はおやすみ……」
 ハルカのノートなどもキレイに纏めて彼はそう呟いた。



「で? 何でアタシなのよ?」
「先生の方が起きるが早かったからです」
 まだ外は薄暗い。
 しかし時計は着実に進み、気づけば男子寮の管理人であるハーリー先生の起床時間。シュウはそれを確認して、ハーリーにハルカを運ぶよう頼んだ。
 おかげでハーリーはハルカをお姫様抱っこして、現在女子寮を突き進んでいる。
 その目はかなり眠たそうだ。
「サオリンだって同じ時間に起きるでしょ!」
「サオリ先生は女性です。ハルカを運ぶのは少し厳しいと判断しました。僕も体の体重を総て預けられると流石に運べません。やはり成人の男性が適役でしょう」
 ハーリーの文句にシュウは的確、かつ迅速に返事を返す。相手がハーリーになるとシュウは言葉に手加減がない。
「相変わらずムカつくわね、アンタ」
「先生ほどじゃありません」
「ムッキー! 人がハルカを抱えているから手出しできないと思って! 覚えてなさいよ!」
 漸くハルカの部屋の前にたどり着き、ハーリーは共通キーで部屋の扉を開ける。
 中のベッドにハルカを投げるように寝かせるとハーリー早々に部屋を出た。
 もちろんシュウも勉強道具などを彼女の机付近に置くと、ハーリーに続いて部屋を出る。
 そして、再びハーリーの手によって鍵を掛けられた。
「それじゃぁね! あんた、覚悟しときなさいよ!」
「先生の事に関することは忘れるようにしているので。申し訳ないですが覚えていないと思います」
「キーッ! このマセガキ!」
 まるでだるまのように顔を赤くして、漸くハーリーの姿はシュウの元から消えていった。
「さて、僕も寝ようとしようかな」
 これから何時間寝られるのか。
 そんな事を考えながら部屋へとシュウは戻って行った。



 その日の昼。
 シュウは携帯電話の着信音で目が覚めた。
 よほど深く眠っていたらしい。いつもなら起きる時間をとっくの昔に通り過ぎている。
 しかし、今はそんなことはどうでも良い。
 電話の相手はハルカだ。慌てて携帯を手に取る。
「もしもし?」
「≪あ、シュウ? 今朝はゴメンね。私寝ちゃってて……≫」
「あぁ、そのことかい。別に良いよ。僕もあのあとすぐ眠ってしまったからね」
「≪そういってもらえると助かるかも≫」
「どういたしまして。あ、ハーリー先生にお礼を言っておくと良い。君を運んでくれたのは先生だ」
「≪え? シュウじゃないの!?≫」
「流石の僕でも同級生を運ぶだけの体力はまだ持ち合わせてないよ」
「≪そうなんだ。うん、分かったかも。あとでお礼を言っておくわね≫」
「そうすると良い」
「≪あ、そうだ。シュウ、午後からはどうすれば良いの?≫」
「え?」
「≪予定よ、予定。やっぱり勉強するの? 私、流石にもう勉強はちょっとしたくないかも≫」
 何の問題もなく進んでいた会話が、行き成り理解不能になった。
 いつ自分はハルカに今日の予定を伝えただろうか?
 そもそも、今日は何の約束もしていなかったはずだ。
「ちょっと待って。一緒に過ごすのはかまわない。だけど、今日は約束してた覚えがない」
「≪え? 約束したかも? 私が寝る少し前。ほら、太陽が顔出すまでって≫」
「あ……確かにその約束はしたけど、もうお昼……」
 携帯電話片手にカーテンを開けるシュウ。
 その窓の外に広がっていたのは、
「すごい曇り、だね」
「≪でしょ? 一応日は出てるけど、あの時の約束の太陽が顔出しているって事にはならないとおもうの。で? どうするの?≫」
 そのハルカの言葉を聞いた途端、シュウの中で笑いがこみ上げてきた。
 思わず、声が出そうになったので、携帯電話を顔から放す。
「子どもみたいだな……」
 曇りは辺りが暗くとも、太陽は空たかくにいる。
 ただ、雲が邪魔をして光を通さないだけだ。
 だから、太陽は既に出ている。
 それはハルカも知っていることだろう。
 でも、彼女はそれを『太陽が顔を出した』とは認めないらしい。
 まるで小さな子どもの駄々のようだ。
 でも、そこを可愛く感じてしまうのはやはり彼女が特別だからだろうか。
「もしもし?」
「≪あ、繋がった。もう! びっくりさせないでほしいかも! 行き成り静かになるんだもん。それで、結局どうするの?≫」
「そうだね……今日は……」



 電話の向こうで今か今かと答えを待つ君。
 その姿を想像するのが楽しくて、わざと先延ばしにしてる自分。
 かなり天邪鬼だと分かっていても、君が面白いからしょうがない。
 そうだね、今日は勉強はおやすみにしよう。
 外で少し遅めのお昼ご飯。
 それから今日をはじめよう。
 天使の階段でも探して歩くのも良い。
 もちろん、土曜日に手を抜いてくれた太陽に感謝しながらね。








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 作者より……
 深夜に男女が同じ部屋で勉強するとかありえるの?
 そこには突っ込まないで欲しいですが、
 進学塾ではあるという話を聞きました。
 勉強する意思を尊重するのだとか。
 基本的に学生の意思を尊重する学校なのでそこはおおめに。
 一応申請してるから大丈夫だと思います。
 えー、状況説明はこの辺にしといて、お話の内容です。
 太陽が手抜きって事は多分曇りだと思うのですが。
 その時に私は天使の階段を探すのが好きです。
 あの、雲の合間から光が差し込む風景。
 二人はこのあと、それを探しながらランチにでも行くのでしょう。
 そんな二人を、是非太陽には見守っていて欲しいです。

 2009.9 竹中歩