照れる・殴る・逃げる



「……ん? なんだ、これは?」
 移動教室が終わり、教室へと誰よりも早く帰ってきたシュウ。
 彼は入り口から入ってすぐの床に何か落ちていることに気づき、何の気なしにそれを拾い上げる。
「……名刺?」
 上を向いていたのは何もかかれていない無地の面だったため、一瞬何か分からなかったが裏返してみると、縦書きで真ん中に男性の名前や電話番号が書かれていた。
 名前はこのクラスの人間の物ではないので、多分誰かが貰った物を落としたのだろう。
 だが、誰が落としたのかまではわからない。
「この名前、見覚えはあるんだけど……」
 確かにこのクラスの人間の名前ではないにしろ、名前には見覚えあった。
 けれど思い出せない。
「えーと……誰だったかな……」
 基本的に人の名前を忘れるということがないシュウ。と言うか、彼はあまり物事を忘れない。早く言えば記憶力が良い。その彼が思い出せないとなれば、そこまで知り合いではないということだろう。
 しかし、やはり思い出せそうで思い出せないというのは気持ちが悪い。
「シュウ、何やってるの?」
 口元に手を当て名刺をまじまじと見ていたシュウに声をかけてきたのはハルカ。
 そのハルカを筆頭に、クラスメイト達も続々と教室へ帰ってきた。
「あ、いやそこで名刺を拾ったんだ。でも、誰の物かまでわからなくて……」
「名刺? 先生のとかじゃなくて?」
「多分それは違うよ。こんな前の先生見た事がないから」
「先生が人から貰ったやつを間違えて落とすとかありえるかも。なんて名前の人?」
「男の人だよ。こういう名前の人」
 そう言ってシュウはハルカに持っていた名刺を手渡す。
 とその瞬間、ハルカの表情が一瞬にして変わった。
「……?」
 表情を変えたのはきっとコンマ0.5秒の世界。
 それくらいで一気に変わり、そして



「シュウの馬鹿ぁぁぁぁぁぁ!!」



 華麗なレバーブロー(肝臓部分を殴るもしくは打つ事)がシュウの左わき腹へと決まった。
 あまりに急な出来事。
 自分がなぜ馬鹿と言われたのか、なぜ殴られたのか。
 色んな思いを交差させながら、シュウはその場にあった掃除道具箱へもたれかかる。
「シュウなんか、ハーリー先生の飼ってるクリオネに捕食されちゃえぇぇぇ!!」
 一方ハルカは名刺を片手に半泣きの状態で叫びながら教室を飛び出していった。
 例えようのない光景を目の当たりにして固まるクラスメイト達。
「今の何……?」
「あれ? なにかあったの?」
 ひょこっと遅れて教室に顔を出した男子は、入り口でまだ固まっている一人の男子に話しかける。
「え? お前見てなかったの? ハルカちゃんのレバーブロー!」
「れ、レバーブロー!?」
「そう! あれは『伝説のレバーブロー』と言っても過言じゃないほど綺麗にシュウのわき腹に決まったぜ!」
「そりゃ生で見たかった! 便所に行ってる場合じゃなかったな……で、シュウはなんでセクシーポーズなんだ?」
「……別にセクシーポーズを取ってるつもりはないんだが……」
 二人の会話に突っ込みを入れるようにシュウが話しに割り込む。
 だが、そうは言ってもシュウのポーズは何処かのモデルが雑誌などでとっているポーズにしか見えない。
 午後の為、少し日が暮れかけた教室で、窓からそよ風が入りカーテンがたなびく。
 それをバックに左手一本で掃除道具箱へもたれかかる美少年。
 セクシーポーズと言わぬなら、一体なんだというのだ。
「つか、なにがあったんだよ? ハルカちゃんすごい叫んでたけど?」
「僕にも分からない。気づいたら、わき腹に流線型を描く拳が入ってきたよ。さすがハルカ……といった感じかな」
「褒めてる場合じゃないだろ……。お前も大事だし、ハルカちゃんもマッハ5位で廊下走って行ったぞ?」
「だね……。追いかけないと」
 何はともあれ、ハルカが泣きそうだったのが気になる。
 シュウは傷ついた体に鞭打ち、ゆっくりとハルカの走った方向へと歩き始めた。
 そのゆっくりとした姿が少し恐怖に感じたクラスメイト達はゆっくりと道を開ける。
「ハルカ……。ハーリー先生が飼ってるのはクリオネではなく、ゾウリムシだ!」
 体勢を教室から出るのと同時に立て直し、シュウは何事もなく走って行った。
「なんかシュウが言ってることずれてた気がするんだけど。でも、ついにシュウがハルカちゃんに殴られたか……。と言うわけで、シュウが今日ハルカちゃんに殴られるって予想したやつ誰がいたっけ!?」
 二人の姿が消えるや否や、クラスメイト達は購買のパンをめぐったトトカルチョの結果に勤しみ始めた。




「あー、もうどうしよう!」
 移動教室ばかりが集まった特別棟と呼ばれる校舎。その校舎であまり使われることのない外側に設置された階段の一番下にハルカの姿はあった。
 この場所は日当たりが悪いため、滅多に生徒は寄り付かない。おかげで今のように一人に成りたいときなどは絶好の場所となる。
「これを……これをシュウに見られるなんて。それに、勢い余ってシュウ殴っちゃったし……あーもうどうしよう! どうしよう!」
 名刺を握りつぶしたてを頭に当て、ハルカは苦悩する。
「本当、どう責任を取ってくれるんだい?」
「わひゃぁ!!」
 唐突の言葉。
 今一番会いたくない相手だったこともあり、驚きの声がかなり間抜けな物になって口から漏れる。
 恐る恐る階段の方を見てみると、少し黒いオーラを持ったシュウが立っていた。
「(うわーん! 絶対に怒ってるかも!)」
 表情は笑っているのに、なぜだがものすごい怒り空気をかもしだしている。そのギャップに恐怖を覚えられずにはいられない。
「とりあえず、何でこんな事をしたのかな? 『ハルカ君』?」
「あは、あはは……君付けって事はかなり怒ってるんだね」
「そうかい?」
 シュウは特別な意思を持ったときだけ、ハルカの名前の呼び方を昔の呼び方に戻す時がある。ただその呼び方をするときは、とても機嫌がいい時か、その場を楽しんでいる時か、あとは機嫌がものすごく悪い時の三択。今の状況から判断するに、今は悪い時。
「えーっと……ご、ごめんなさい! いきりなり殴っちゃったのは本当に悪かったって思ってる! それはいくらでも謝るかも!」
 その恐怖にこれ以上身をおいておくのが苦痛になってきたため、ハルカはとりあえず謝罪の言葉を口にする。
 が、シュウはいつもの表情には戻らない。
「……なぜ、殴ったんだ?」
「え?」
「殴ったのは悪いと思ってる。そう思うのは何で? そもそも僕は殴られた理由を知らないんだけど?」
「う゛! ……それは」
 ちらり。
 ハルカの目線がシュウからはずれ、宙を泳ぐ。
「それが謝罪を示す人の態度には見えない。この痛みの謝礼はその理由を聞かせ貰うことにしてもらおうか。多分、その握り締められた名刺のことだとは思うけど」
「わ、分かってたの!?」
「一応ね。それを見てから殴られたわけだし」
 そう、全ての事の発端はその名刺。
 気になる物は気になる。
「う〜……本当はこの名刺の存在自体忘れて欲しいんだけど……。こうなってしまったらしょうがないわ」
 ふんと、何かを振り切るように青空の一点を見つめ、ハルカはシュウを自分の横へ座るよう促し、そして語り始めた。
「実はね……この名刺……とある男性にいただいたの」
「敬語だね。と言うことは年上? まぁ、名刺を持っている時点で年上とは思っていただけど」
「そう。三十代の男性……この前街で貰ったの」
「街と言うことは……もしかしてスカウトかい?」
「うん……。そう」
 やはり。
 シュウの推測は当たった。
 いや、ハルカの見た目からすれば今までなかったのがおかしなくらいだ。
 実際シュウも今までに何件か同じように名刺を渡された……と言うか、押し付けられた経験を持つ。
「なぜ……自慢しなかったんだ? 君なら絶対にしてくると思ったのに」
 確かに。
 ハルカの性格からすれば断ったとしても自慢の一つでもしてきそうなものだが。
 その台詞を聞いて、ハルカがシュウを睨み、そして叫んだ。
「フードファイターのスカウトを自慢できるほど、私、肝は据わってないかも!」
「ふ、フードファイターぁ……?」
「そうよ! この人名前見たことない? 大食いで有名な人よ! テレビに出てるくらいの有名人! その人にこの前『君は食べっぷりがいいね! 是非今度ある大会に挑戦しないか?』て渡されたの! 私食べることは好きだけど、人前で男の人顔負けの食べっぷりはみせたくないかも!」
「……まぁ、確かに。普通はそうだろうね」
 思春期の女子なら少食の方が何かと見栄えは良いと聞いたことがある。
 しかし、ハルカは基本そのことに関しては気にしないと言っていた。
 だが、それと大会に出るのは別の話。
 公衆の面前では流石に恥ずかしいに違いない。
 そう考えると、ハルカがあそこまで隠そうとした理由が分かる。
「それをシュウに見つかって、慌てて殴ったらすごい綺麗にわき腹に入っちゃって……ホント、ゴメンかも」
「いや、確かに理由を聞けば知られたくないだろうね。でもね、落とした君が悪いんだよ? 拾ったのが僕だったから良いような物の……」
「そうね。今度から気をつけるわ。……というか今頃教室どうなってるのかな?」
 レバーブローを華麗に決めて、教室を韋駄天の如く飛び出していった女子に、モデルポーズで黄昏る男子のいた空間。
 心配にならないわけがない。
「けっこう異様な雰囲気だったよ。変な事になってなければ良いけどね」 
 二人は残された休み時間を使って教室へと戻って行った。





「というわけで、お前が栄誉ある優勝者だ!」
 二人が教室にかえるや否や、クラスメイト達は一人の男子に大きな拍手と祝福の言葉を送っていた。
 確かに異様な空間だ。
 たかが休み時間の間に一体何がおきたというのだろうか?
「何事なの?」
「あ、ハルカちゃん! シュウもお帰り。いやぁ、今回の二人の騒ぎでようやくトトカルチョの優勝者、いや『勇者』が決まったんだ!」
「またそんなくだらない事を……」
 シュウはあきれて、ため息をこぼす。が、怒りはしない。怒っても何の解決にもならない事を彼は知っている。
 今までにも似たような事をされているからだろう。
 慣れと言う物は本当に怖い。
「で、今回の勇者は何がもらえるんだい?」
「購買部の伝説のパンだよ!」
「伝説のパンですって!」
 ハルカが目を光らせてその言葉に食いつく。伝説のパンといわれてハルカが黙っているわけがない。
 どれだけ美味しいのか、どんな見た目なのか。
 ハルカの食欲に対する想像が一人歩きする。
「どんなパン、どんなパン? あ! 売り切れ必須のカニクリームコロッケパン? それとも月に一回だけ販売されるとろけるチョコレートパン? すごく気になるかもー! って……あれ? 何で優勝したのに泣いてるの?」
 優勝と言う言葉は、少なからず、誰もが嬉しいはずだ。
 だが、その勇者と呼ばれたクラスメイトはスンスンとすすり泣きをあげている。
「優勝者って言われても、ビリの優勝。だから、あいつが持ってるのは伝説のフランスパン」
 つまりはドベ。確かに喜ぶに喜べない優勝だろう。
 だがそれ以上にハルカは伝説のフランスパンと言う語句の方が気になった。
「伝説のフランスパンて……確かあまりの硬さに、それで殴られた生徒が複数怪我をしたと言う……あの伝説の?」
 ハルカは購買のおばちゃんから聞いたことのある伝説を思い出す。
 てっきり噂だと思っていたが、どうやら本当の事らしい。
「そう。それを今オレがそれ貰っちゃったの。食べるにも硬すぎるしね……。ハルカちゃん、よかったら貰って。そしてそれでまたシュウに綺麗なレバーブローを入れてよ」

「れ、レバーブローってなにー!?」

 栄誉ある伝説のフランスパンをハルカ。
 後にこの事件は『レバーブロー伝説』として後輩に語り継がれたとか、継がれなかったとか。



 それから暫くたって、クラスのトトカルチョは新たな物へと変更されたと言う。
『シュウがハルカにあの伝説のフランスパンでレバーブローを入れられるのはいつか?』
 二人の耳に入らないように実行するのはきっと大変なことだと思われる。







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 作者より……
 レバーブローと言う語句を聞いて思いついた話しです。
 まず、このお題には本当に悩まされました。
 照れる、殴る、逃げると言うのは典型的な少女漫画のシーンだと思います。
 でも、うちのハルカには『典型的』と言う言葉が似合いません。
 シュウはよく『非常識』と言うくらいですので。
 常識がないという意味でなく、1+1=2と言う以外の答えを
 ハルカは生み出すので、想像を超えるという意味と、嫌味をあわせたのが、
 シュウの言う非常識です。なので、こんなお話しになりました。
 ハルカなら、フードファイトのお誘いが来てもおかしくないと思うのですが。
 と言うか、トトカルチョは通じますかね……?
 ジェネレーションギャップに怯える竹中でした。

 2009.9 竹中歩