午後の御茶 その日、ハルカは浮かれていた。 鼻歌を歌ったり、徐にスキップなどしてみる。見るからに地に足がついていない状態。どうしてこんな不可思議な行動を取るのか?理由は簡単だった。 左手には弓道で使った道具や正装の衣装。右手には…賞状。そう…今回鳳炎地方で開かれた中学生弓道大会においてハルカは女子の部個人優勝を治めた。それが上機嫌の理由。そして…案の定その状態をハラハラしながら見守る少年が居る事も忘れて居はいけない。 「あんまり浮き足立ってると転ぶよ。」 「だってやっぱり嬉しいかも!」 聞いていない。いや、聞く耳すら持っていない。確かに嬉しいのは解る。他の同級生たちより遅く始めた手前、やはりその成績は他の生徒たいより劣った。しかし、今現実に追いついた証がハルカの手元にはある。喜怒哀楽の激しいハルカだからこそ、落ち着かないのは当たり前かもしれない。 「…浮かれすぎ。」 「なんか言った?」 「いや、別に。」 「…あー!もしかして妬んでる?今回二位だったから。」 ズバッと言い切った。他の人なら言いにくい結果を。 全国でも弓道で名を轟かせているシュウが今回まさかの二位。これにはハルカだけでなく参加者の殆どが驚いた。おかげでシュウもほんの少しだけ不機嫌。でも、不機嫌にしろ不機嫌でないにしろきっとシュウは同じような言葉を言っただろう。 「妬むとか妬まないとかじゃない。危ないって言ってるんだよ。それに…人に褒められる事が少ないからってそこまで有頂天にならなくても…」 試合終了後、ハルカは今までに受けた事がないくらい、人に褒め称えられた。それに優勝が追い討ちをかけてまた嬉しくて嬉しくてどうしようもない余韻に浸っている。でも、ハルカの性格だ。シュウの言うとおりこんな状態では道路に飛び出して事故になりかねない。 「そりゃ、シュウは褒められ慣れしてるけど私は慣れてないもん。今日ぐらいはさ…」 「度が過ぎてる。」 満面の笑みであったハルカの表情が一瞬で怒りに変わる。シュウはそんな大したことは言っていない筈なのに。 「なによ…どうして私の優勝を一緒に喜べないの?…それとも…優勝したら何か奢るって言ってたあれが今更になって嫌になったとか?…心狭いわね…。」 ハルカにしては…行き過ぎた暴言。これは誰が見ても解る。…天狗になっていた。 「狭くて結構。人の話も聞けないような人に言われてもどうともないから。」 「いつ私が人の話し聞かなかったのよ?」 「今だよ。」 「シュウが一緒に喜んでくれないからでしょう?」 「それとこれとは話が違う。」 商店街。しかも時刻は昼の2時半。人の目を浴びるのは当然。しかしそんなことも気にせず二人は討論に徹する。いつも二人の言いあいじゃない。お互い本当にむかついてしょうがない。時々見せる友情の対立が今繰り広げられていた。 「もう良い!このまま帰る!」 そう言って走り出した瞬間、 『バジャッ』 冷たい…。いくら季節は暖かいと言っても制服のまま水は被りたくないものだ。 ハルカのスカートから水滴が滴り落ちている。 「ご、ごめんなさい!」 固まっているのはハルカだけではなかった。ハルカに水をかけた張本人も固まっている。 二十代と思しき茶色い髪の女性。エプロンをつけて片手には水の入ったバケツ。もう片方には柄杓。 どうやら、打ち水をしていたらしい。 「あー…」 「ごめんね!走ってきたのに気付いた時にはもう遅くて…本当にごめんね!」 女性は何度もお辞儀をする。それを見かねたのはハルカではなくシュウ。 「良いんですよ。こんな人通りの多い商店街を走る方が間違ってるんですから。それに今の彼女には丁度良いです。頭を冷やすのに。」 「な!」 「何か言いたい事でも?」 「当たり前よ!大体水を被ったの私よ?!なのにどうしてシュウが…」 口論と言う名の悪口の言い合い。シュウには絶対敵う筈がないのにハルカは食って掛かる。ここまで冷静さを失ってはハルカの言い争いの勝利確立は無に等しい。再び討論勃発。 「………ねぇ、」 その二人の間に入ったのは水をかけた女性。 「どうせなら、家の店の中に入ってやれば良いと思うわ。ここだと人目が…ね?」 二人は言われてあたりを見渡す。たすかに注目の的である事には間違いない。 「それに水かけちゃったから…良かったら入って。」 女性は温かい笑顔とともにお店の扉を開いた。 そこはアンティーク風の喫茶店。 彼女はこのお店の前で打ち水をしていたようだ。中途半端な時間だからだろうか?人は誰も居ない。 「そこの奥の席へどうぞ。窓辺だと商店街から見えるからね。」 座るように言われた席は厨房への扉がすぐ傍にある二人用の席。確かに今の二人にはあっているかもしれない。 「どうも。」 「ありがとうございます。」 律儀にお礼を言ったのシュウの方。余程ハルカは頭に血が上っているようだ。 「今休憩中だから誰もお客さんは入ってこないわ。だから他の人は気にしなくてもいいわよ。」 「休憩中に…いいんですか?」 「貴女に水をかけてしまったのは私だもの。クリーニングした方がやっぱり良いかしら?」 その返事にはるかは大きく首を振る。 「私も前を見ないで走ってたから…それにこれから帰るだけですし。明日には渇くと思います。」 「そう?気持ち悪くない?」 「大丈夫です。時々友達と水の掛け合いしてますから、慣れてます。」 何とか笑顔を作って答えた。この人には罪はない。 「本当にごめんなさいね。そうだ。何か飲む?あ、もちろん御代は要らないわよ。」 その言葉にシュウが謙虚に振舞う。 「そんな、払います。元々彼女には何か奢る予定でしたし。」 「気にしないで。せめてもお礼だから。何が良いかしら?」 「………じゃぁ、お言葉に甘えて。」 少し考えたハルカだったがここまで言ってくれているのだからと好意に甘える事にした。 テーブルに備え付けられたメニュー表を開くと、そこにはあまり見覚えのない言葉が並んでいる。 「これって……紅茶…ですか?」 「そう。紅茶だけでなく、緑茶やウーロン茶もあるわ。ここはお茶専門店なの。」 ああだからか。厨房の後ろの棚には透明で蓋がついた瓶が並んでいる。大きさは片手で抱えられるくらい。入ったときには全然気がつかなかったがよく見てみると見覚えのあるお茶の名前もあったりする。 「凄い…これだけの量初めて見たかも。」 「そう言ってもらえると集めたかいがあったわ。好きなのを選んでね。あ、もちろんそっちの君も。」 「僕も…ですか?」 「うん。君も御代は要らないから。お茶を楽しんでいって。それが私が一番嬉しい事だから。」 女性の微笑みは本当に紅茶のように温かい。余程好きなのだろう。 「ありがとうございます。でもこれだけ量が多いと確かに悩みますね。」 「そうね…お茶に興味が無い人にはわからないものも沢山あるから…」 ざっと見ただけで数十種類くらいはあるだろうか?名前すら覚えるのが大変そうなお茶の銘柄もある。 「あー…悩むかも。やっぱりファーストフードとかで選ぶのとは違うから…。」 食べる事が好きなハルカにとって見た事のないお茶は全て飲んでみたかった。一体どれが一番美味しいのだろう?そう言えばシュウは何を… 「え…」 珍しくシュウも悩んでいた。大抵彼はコーヒー派。しかし、メニュー表にコーヒーがあるにも拘らずお茶のメニューだけをじっと見ている。なんだ…シュウでも悩む事ってあったんだ。 「もしかして決まらない?数多すぎて…」 「……その通り、です。」 「僕も同じ意見です。」 二人の意見が出たところで女性はうーんと悩んで見せた。そして何か思いついたようで、徐に一つの瓶を取り出し、お茶の用意を始める。 「じゃぁ、私からおすすめのをいれてあげる。今の二人にはぴったりかもしれない。」 楽しそうに笑いながら女性は二人に美味しいお茶を入れ始めた。それまで店の中には無かった暖かい香りが二人に届く。 「おまたせ。さ、どうぞ。」 白いティーカップとソーサー。それが二人の前に一つずつ置かれた。かいだ事の無い香り。 でも…見た目は何の変哲も無いお茶。 「あの…どうしてこれが私とシュウにぴったりなんですか?」 何か似ている場所でもあるかと思ったのだが見当たらない。 「そうね…喧嘩してるってところがかしら?」 「え?…」 ハルカが思わず出した声に女性は再び笑う。 「…このお茶に纏わる話がそれっぽいの。」 お茶に纏わる話…シュウとハルカはとても興味をそそられ女性に話して欲しいと頼んだ。 そして始まる女性の話… あるところに…いつも勝ち負けを争う男女がいました。 二人は再会のたびに戦いを繰り広げますが、いつも女性が負けてしまいます。 しかも男性は相手が女性でも手を抜きません。 それに女性自体が何よりそれを許さなかったのです。 そして女性は負ける事が悔しくて腕磨き、 いつしか街では腕のたつものとして有名になりました。 それから暫くすぎた頃です。 女性の腕の力に見惚れた人間が続々と彼女の目の前にくるようになったのです。 今までここまで多くの人、しかも公に褒められる事のなかった女性は とても嬉しくて有頂天になりました。 しかし、それが仇になりました。 彼女は褒められて自分のやり方が全て正しいと思い込んでしまったのです。 最初のうちは人々もそれを受け入れましたが、徐々にそのやり方が 間違っていると言う事に気付き、注意を促しました。 しかし、彼女は全く聞きません。 遂には一番勝ちたい相手である男性にも注意されました。 ですが、女性はその男性の言葉が気に食わず跳ね除けた上に、 これを罵りました。 しかし、これがいけなかったのです。 また暫くして女性は男性でないほかの人と戦う事になりました。 いつもの自分なら出来る。私ならできると思い込んでいた女性は …勝てる相手に苦戦を強いられる事になったのです。 いつもなら勝てたはずの相手。しかし、いつも以上に強く感じました。 そして気付いたのです。 有頂天になりすぎて…自分の鍛錬や考えを怠ったことを。 あれだけ自分に注意を促していた相手がいたことを。 彼女はすべてを無碍にしていたのです。 そして戦いは終盤のほうでそれに気付いた彼女の勝利。 そして戦い終了後に思ったのです。 勝ったから…凄いから何をしても良い訳ではない。 人の言葉を聞かなくて良いわけじゃない。 自分には…注意や指摘をしてくれる仲間が居る事に。 決して自分ひとりの実力でその力を身に付けたわけじゃない事に。 仲間の支えがあって今の自分が居る事に彼女は気付きました。 その後やはり彼女は腕の立つものとして名を馳せましたが、 仲間思いの素敵な女性にもなりました。 「と言う話がこのお茶にはあるのよ?」 何の変哲も無いお茶に繰り広げられたストーリー。それに二人は聞き入っていた。なにより…ハルカはしょげていた。まるで…今の自分のことのようだと。 「…だから…私にぴったりだって言ったんですね。」 「ちょっと酷かったかもしれないけど…貴女たちの話は最初から聞こえていたわ。商店街だからね。確かにハルカさんのように嬉しい気持ちもわかる。でも…シュウ君は一位を取ったからと言って有頂天になった事があるの?」 ハルカはハッとした。シュウは優勝するのが当たり前。大抵いつも賞状やら優勝旗など貰っているが…自分のように浮き足立って人に迷惑をかけた事は無い。どんなに優勝が嬉しい大会でも。 「そう言えば…ない。…でもそれって慣れてるからじゃ…」 「多分彼は…優勝できない貴女を気遣っていたのだと思う。優勝できなかった人間に優勝した嬉しさを伝えるって酷じゃない?…まぁ、優勝できなかった方がもっと喜べーとか言うなら別だけど…貴女はいつも悔しくて泣きそうだったから…浮き足立たないようにしていたんじゃないかしら?」 考えてみれば当たり前だった。自分は優勝できなかったのに、優勝した方は一緒に喜べという。もし自分がそんなことされたら…絶対に怒ってる。シュウが怒って当然かもしれない。 「それに…彼は貴女の事を思って注意していたのよ。確かに遠目から見ていても転びそうだったし。結局は貴女の事を大切だから言っていたんだと思う。だから解ってあげて。」 「……私…私…」 ハルカは涙を堪えて顔をあげた。そこには微笑む女性。…情けなくて涙がこぼれた。それを見た女性は静かに厨房へと戻る。それを見計らってハルカは声を零す。 「シュウ…」 「ん?」 「ごめん…なさい。」 聞き取りにくかったが…それは声がかすれるほど反省していると言う証拠。 「………しょうがないね、全く。」 彼はいつものように小さな声で笑った。そして何も言わずハルカの頭を軽く撫でる。それがどんな言葉よりも安心して嬉しくて…。 そしてその感触にハルカはああ、やっぱりシュウは男の子なんだと実感した。 女の子に慰められるよりずっと…手が大きくて…女の子とは違う大きな包容力で満たされる。 それの所為か余計に…自分がとても小さな子どもに思えて…シュウが年上に思えてまた涙が流れた。何て子どもっぽいことしたんだろう。 「ごめんね…ごめんね…。シュウが今日体調悪くて…本調子でなかったの知ってたのに…本当にごめんね。」 まるで本当に小さな子どもだ。ただ泣きじゃくるしか出来ない自分。 「気付いたなら…進歩した証拠だから…ほら、お茶、冷めるよ。」 折角いれてもらった温かいお茶は少し冷めていたけど…あの女性のように温かかくてとても美味しく感じた。 本当に…ごめんね。 「ご馳走様でした。」 「ご馳走様でした。」 お茶を飲み上げ、ハルカの目から涙がひいたのを確認すると二人帰宅の用意をして扉の前に立つ。 「もう大丈夫?」 「はい…自分が間違っていた事に気付かされて泣いちゃいましたけど…もう大丈夫です。」 「良かったわ。でも本当にごめんなさいね。制服…」 「あ、もう、渇き始めましたから。お茶もご馳走になれたし。此方こそありがとうございます。」 深々と頭を下げる。過ちに気付いたのはこの人のおかげと言っても過言ではないくらいだ。いくらでも頭を下げよう。 「休憩中に本当ご迷惑おかけしました。」 「いいのよ。気にしなくて。」 「そう言えば…どうして私たちの名前知ってらしたんですか?それにシュウが優勝したことあるとか…」 ふと抱えた疑問。途中から『貴女』や『君』と言う代名詞ではなく、シュウとハルカの本名でこの人は呼んでいた。しかも、シュウが弓道大会で優勝した経歴を持つ事も知っている。一体どうして? 「貴方たちが…大会帰りにいつもこの商店街を通っていたから。名前を呼び合っているときにね。弓道の大会会場毎回一緒だし。それに…ハルカちゃんの悔しそうな顔が印象的だったかしら?」 「私そんなに酷かったですか?!」 赤面するハルカに女性はくすくすと笑う。 「ちょっとだけね。それにより印象的だったのは…」 言葉を途中で区切ってちらりと女性はシュウの方を見る。 「やっぱり内緒にしておこうかしら。」 「あ!ひどーい!」 「また縁があったら教えてあげるわ。」 「はーい。解りました。あ!あのお茶美味しかったです。」 「喜んでもらえて嬉しいわ。あれはねルイボスティーって言うの。」 「ルイボス…」 「そう。ルイボス。あの逸話が生まれた場所もルイボスと言うのよ。」 「ルイボスって…ちょっと離れた街の類穂子のことですか?」 「そことはまた違う異国のルイボス。名前の読みは一緒だけどね。」 「へーぇそうなんだ!」 「そろそろ行かないと。ハルカ。」 「あ、はいはい。それじゃ失礼します。」 「失礼します。」 二人はお店に入る時とは全く違った仲のよさで帰っていった。あ…でもやっぱり口論してる。 「やっぱり…ライバルって良いわね。少しは彼も救われたかしら?」 中学生の弓道大会のあと、いつも面白二人を見る。 男の子と女の子の二人組み。 女の子の方はいつも負けているのか?とても悔しそうで、 男の子の方はいつも賞状や優勝旗を片手にしているのに浮かない顔。 その時ふと思った。 あの男の子は凄く優しい子なんじゃないかって。 女の子のこと思うからこそ優勝を喜べないんじゃないかって。 そんな二人だからかな?応援したかった。 だから今日二人に会えた事が凄く嬉しい。 また機会があればお茶を入れてあげよう。 二人の仲が良くなる美味しいお茶を……。 ------------------------------------------------------------END--- 作者より… 私が街で実際目にした事のあるお茶からヒントを得ました。 もう目に入った瞬間これでシュウハル書くしかないなと思って。 それで本編の方のルイボスで何かがあったかを思い出してみると、 ハルカが有頂天になったところだったので、 学生のハルカも初めての優勝ぐらいはこんな風になるんじゃないかと 思ったんです。この子は煽てに弱いと思うので。 そして本編とのリンク。 逸話のお話はもう語ることはないと思います。 わかる方はわかりますよね(笑) そして書いててシュウが頭を撫でるシーン。 男の子が女の子の頭を撫でるのは私の萌えポイントかもしれません。 そう言うときに男の子だと実感する女の子にまた良し。 この二人は本当に私の潤いです。 2006.7 竹中歩 |