「なんで……こんなところに?」
 まず最初の第一声はこれだった。



ぽかぽか陽気に誘われて



 その場所は高等部の教室が入っている校舎の一階ベランダ。ベランダと言うには乗り越え防止用の柵などがあるわけでもなく、地面から若干高い段差があるのみ。その段差と並行して教室が存在しているので、ベランダと呼んでいいのかもわからないコンクリート製の早く言えば外付け廊下だ。
 昼休みともなればその段差をベンチの様に使い腰掛ける女子生徒も少なくはない。なので、人がそこにいてもおかしくはない。おかしくはないのだが……。
「今って放課後なんだけど」
 そう、今は生徒が委員会や部活に勤しむ時間。時計の針は四時過ぎと言ったところだろうか。そんな中途半端な時間に友人と会話に花を咲かせる訳でもなく、考え事をしている訳でもなく、その人物は只管に規則正しい呼吸をしながら熟睡していた。
 。青春真っただ中の高校二年生の女子が、今目の前で。
「マジかよ……」
 呆れてものも言えないとはこのことだ。ため息交じりに大きく息を吐き出して、の側に屈むのは未来の管理委員会をきっと担うであろうと言われている秀才、池田三郎次。
 委員会で貸し出した帳簿を回収に行く途中でこの不可思議な先輩を見つけた。
「高二にもなってありえない……」
 自分の屈んだ影が少しでも顔にかかれば違和感を感じて起きるかもしれないと思ったが、どうやらこの先輩は大物らしい。全く微動だにせずひたすらに寝息を立てている。
 本当にこの人はうちの委員長代理と同じ歳なのだろうかと疑う。三郎次の委員会と言えば内容が薄いと言われている管理委員会。その委員長代理を務めるのは睫毛が忘れられないと言われる久々知兵助。巷ではやれ豆腐小僧だと少々馬鹿にはされているが、そこは頭の良いA組に所属するだけあって、委員会では的確な判断や、管理薬品の在庫把握、はてはおバカの異名を持つ一年三組に勉強も教えているとても頼れる存在だ。
 そんな人とこの女子生徒の先輩は同じ歳……。ありえないとしか言いようがない。
「まぁ、この人にそんなものを求める方がおかしいか」
 一度ゴロンと寝返りとうつを見ながら少し笑う。
 三郎次がと出会ったのはほんの数ヶ月前の事。久々知が積極的に管理委員会に入れようとしているのが最初は気にくわなかったが、何度か顔を合わせたり会話をしたりして久々知の気持ちがこの頃分かった気がする。
 この人は普通の女子生徒と違うからこそ、先輩は入れたがっていたんだろう。
 管理委員会も最初は女子もいた。いや、今も実際には存在しているのだろうが、顔なんて覚えてない。それほどまでに女子は日頃の委員会に参加していない。だからだろうか。いつの頃からか女子でうちの委員会に入る人は皆中途半端に止めて行くと思ったのは。
 そりゃ、他の委員会の様に華やかではないし、活動内容も良く分からない。でも、必要な委員会なのは確かだ。なのに、女子は誰一人としてその委員会をしてくれない。
 体育委員みたいに無理はさせないし、生徒会みたいに徹夜になる事もない。先輩だって良い人たちばかりなのに、辛いとか内容が中途半端とかそんな理由で女子の人たちはいなくなった。
 きっとこの人もそうなるんだと思っていたけど……実際はどうだ。
 うちの委員会には入っていないものの、時折差し入れをくれたり、そっけない態度を取る自分にも道すがら顔を合わせばへこたれることなく挨拶をしてくる。
 そんな事をしていれば分かってくるのは、この人は自分の知っている女子とは違うと言う事。だから、この人に常識を求めるのは間違いなのだ。
「……先輩、風邪引きますよ」
 いくら暖かい春咲きと言えども、まだ夕方の風は冷たい。制服でそのままコンクリートで熟睡するなど風邪を引きたいと言っているようなものだ。とりあえず揺さぶって起こしてみるが、起きる気配は全くない。
「…………頬っぺたひっぱりますよ」
 そんな気はさらさらないが、一応脅し文句として言ってみる。が、結果は同じ。
 学校のこんな所でここまで眠れるとは、逆に才能と言っても過言ではないだろう。
 でも、このままそれを放置と言うわけにはいかない。
 ……ふと辺りを見渡せば、偶然にも体操服のジャージを羽織っている自分が教室の窓に映った。
「べ、別に先輩が寒そうだからとか言うんじゃなくて、俺が暑いだけだからな!」
 誰も居ないにもかかわらず、大きな声で理由を述べる三郎次。
 どうか、誰にも見つかりませんように。そんな思いで、ジャージの片腕を脱いだ時、何かがこちらへ向かってくるのが見えた。
「あれ……? 三郎次?」
「さ、左近、お前!」
 白い布を手にした級友の左近が小走りにこちらへと向かってくる。そして必然的に自分との前で足を止めた。
「お前、こんな所で何してるんだよ?」
 慌ててジャージの袖に再び腕を通し、何事もなかったかのように左近に対応するが、内心は心臓バクバクである。
「お前こそ! なんで白衣持ってんだよ!」
「ぼ、僕はあれだよ! この伊作先輩の白衣を乾燥させてたんだよ!」
「走ってか?」
「そう、走って!」
「……保健室からやけに遠くないか?」
「べ、別に良いだろ? お前こそ、なんでジャージ脱ぎかけてたんだよ!」
「き、気の所為だろ!?」
 なんで誤魔化しが効かない友人に嘘をついているのだろうか?
 事実を言わなくてもきっと相手は分かっているし、相手のしようとしていた事も分かっている。でも、そこは微妙な年頃と元々素直でない性格。どうしても現実をちゃんと言葉に表せない。なぜか、それがとても悔しくて恥ずかしくて。
「白衣、そろそろ乾いたんじゃないか? それ伊作先輩がいるんだろ?」
「お前もジャージ脱ぐほど寒くなくなってきただろ? さっさと前のファスナー閉めれば?」
「……両者一歩も譲らずか」
 不意に上から降りて来た言葉に、二人は思わず上を見上げる。そこにいたのはにっこりと笑う久作の姿。余裕しゃくしゃくで手まで振っていた。
「お前、いつからそこに!?」
「今し方だよ。ちょっとまって、そっち行くから」
 久作が顔を出していたのは多分、それこそ達の学年が使う教室のベランダだ。そこから顔を引っ込ませた後、文字通り三人の側へとやってくる。
 小脇には大きな紺色の布を抱えて。
「三郎次も左近も声大きいよ。二階の廊下まで聞こえてた」
「だからお前、ベランダから顔出してたのか?」
「そう言う事。じゃなきゃ、高等部の教室のベランダから顔出さないでしょ?」
 素直にならないのもほどほどにしないと。
 などと言いながら、久作は何事もなかったかのようにへとその大きな布を被せた。
「お、おま!」
「え? 何? しちゃダメだった?」
 一瞬三郎次に詰め寄られた久作だったが、顔は困っている訳でも、驚いている訳でもなく何故か笑っている。
「まぁ、怒るなって。誰かが何か着せなきゃ先輩風邪ひいちゃうし。左近が白衣かぶせようと、三郎次がジャージかぶせようと、俺がブランケットかぶせようと結果は同じ訳だし」
「僕は先輩に白衣を被せたい訳じゃなくて、伊作先輩の白衣の乾燥!」
「俺は暑かったからだ!」
「……じゃぁ、やっぱり俺がブランケットかぶせなかったら先輩野ざらしだったんだ。良かった、よかった。中在家先輩からブランケット借りてきて。図書室から見えた時、絶対に風邪引くと思ったもんな」
 三郎次から少し距離を置くと、久作はブランケットを握りしめて幸せそうな寝顔を見せるにつられて笑う。
「「久作……てめぇ」」
 同じ一組なのに。ツンデレって有名な一組なのに。どうしてこいつは自分達に比べたら素直なんだ。
 それに無性に腹が立って、思わず握りこぶしを作る三郎次と白衣握りしめる左近。
 この性格が良いとは思ってない。でも、なぜかこのまま。その事実が余計に腹を立たせる。
 そんな際どい空気のさなか、なにかふわふわとした小さい物が一生懸命こちらへと走って来ていた。
「あれぇー? みんなどうしたのー?」
 ひょこひょこと揺れていたのは彼のトレードマークであるふわふわな髪の毛。
「しろ、走ってると転ぶよ」
「大丈夫ー! った!?」
 久作が注意したのだが、それとほぼ同時に彼は顔面からすっ転んだ。
 そして抱えていた荷物だけがふわりと空を舞い、三人の足元へと舞い降りる。
 七松と書かれたジャージの長袖上着が。
「言わんこっちゃない……ほら、四郎兵衛」
「うう……ありがとう、久作。あ、七松先輩のジャージ!」
「ほら、これだろ?」
「ありがとう。三郎次……あれぇ? 先輩もう何か着てる」
 三郎次から上着を受け取った四郎兵衛は猫の様に首を傾げた。
 もしかして……こいつもか?
「誰が着せてくれたの?」
「久作だよ。それ、図書室の貸し出し用ブランケットだろ?」
 左近は面白くなさそうに、握りしめていた白衣を綺麗に折り畳む傍ら、四郎兵衛の問いかけに答える。
「そうそう。中在家先輩に説明したら貸してくれたんだよ」
「そっかぁー。ありがとう、久作」
「……? ちょっとまて。なんでしろがお礼を言うんだ?」
 一番面白くなさそうな顔をしていた三郎次がふと真面目な表情になり、問いかけられた四郎兵衛は一旦逆に首を傾げたが直ぐにまた笑顔に戻って、
「えっとねぇ、ぼくここが気持ちよくて気付いたらお昼寝してたんだ。それで、起きたら先輩が膝枕してくれてて。まだ寝てて良いよって言ってくれて」
「「「膝枕ぁー!?」」」
 思わずこの場を楽しんでいた筈の久作までが驚愕の声を左近と三郎次と共にあげた。
 思春期の男子にとって、恋人でもいない限りは先ず拝めないイベントである。それをしてもらっていたと言うのだから、驚かない筈がない。

「うん! 先輩の膝すごく気持ち良くてすぐにもう一回寝ちゃったんだけど、次に起きたら、今度は先輩がこんな風にもう寝ちゃってたから、慌てて布団になるもの探して来たんだ」
「あぁ、だから七松先輩のジャージか」
「そう。ぼくのじゃ小さいからね。だから、ありがとう、久作」
「本当だよ、ありがとう。四郎兵衛君」
 不意に男子の物でない声が混ざる。
「あ、先輩、おはようございます」
「おはよう。いやー、良く寝た。ブランケットをくれた辺りから記憶はあったんだが……って! そこの二人何で禍々しいオーラだしてんの!?」
 大きく欠伸をして、背伸びをしたが起き上がって一番最初に目にしたのは只管に睨んでいる三郎次と笑っているのに、空気が笑っていない左近の二人。
 一体自分が寝ていた間に何があったと言うのか。
「別に何でもないですよ、先輩が何処で寝ようとも。それじゃ、僕は伊作先輩の白衣返しに行きますんで!」
「なぬ! 伊作先輩の白衣とな!?」
 その一言で、すぐさまはその場から立ち上がる。にとって伊作は女神と同等らしく、伊作に対する情熱は半端ない。だからこそ左近は嫌みのつもりでわざと伊作と言うところを表現したのだろう。
「待ちたまえ、左近君! ぜひともその白衣を!!」
「知りませんよ。そんな所でグーすか寝る様な自己管理の出来ない人は!」
「いや、それには理由があってだね」
 こうなると、の瞳には伊作の白衣しか映っていない様で、さっきからずっとむくれている三郎次なんて視界にも入っていない……かのように思えたが。
「ええっと……あ、三郎次君。すまんが少しそのジャージを貸してもらえないか?」
「はぁ!?」
「いや、起きたばかりで寒くてね。ちょうど君脱ごうとしてるみたいな会話が聞こえてたからその間だけでもと思ってね。あ、でも君にもファンの女の子がいるよね? そうなるとやはり久々知君達同様、多くのお嬢さん方が泣くだろうから……うん、やっぱりよす」
「どうぞ。明日返してもらえれば良いんで」
 ばさっと、の肩に中等部のデザインのジャージがかかる。
「いや、いやいやいや! 君のファンのお嬢さん方が泣くのは!」
「別に俺には久々知先輩の様にファンはいませんから」
「いや、絶対にいると思うよ? 私には分かんないけど、友人がうちの学校の男子はたこうにくらべたら美形が多いとか何とか言ってたし。だから君にもいる筈だから!」
「何で、分からないのに言いきれるんですか、貴女は……」
「だって、君の様に根は優しい少年を好きになる女子もきっといると思うから」
「べ、別に優しくないですから! 俺!」
「……え? 何を寝ぼけた事言ってんの? 君が優しくないなら世の中の男子なんて殆ど優しく、っぐは!」
「寝ぼけてるのはあんただー!」
 にチョップをくらわした後、結局三郎次は吐き捨てるかのようにして、その場を後にした。



 後日、三郎次の元に帰って来たジャージにはやはりというかなんというか、彼女お手製のお菓子が添えられていた。
 まるで委員会の甘酒と一緒に飲めば良いと言わんばかりに、豆腐を使ったパウンドケーキ。でも、
「……言われてないし……」
 別に一緒に食べろと強制はされていない。
 なら、今日ばかりはこの事を知っているのは自分だけでも良いですか?
 少しだけの罪悪感と、ちょっぴりの優越感を抱えて三郎次はそっとパウンドケーキを鞄にしまった事を貴女は知っていましたか?






作者より
私の中で確かに不運は左近なのですが、意地悪故に貧乏くじを引きやすい状況を作ってしまうのが三郎次。
そうして美味しいところを自然と持って行く四郎兵衛。更にそれをいつも楽しそうに見ているのが久作です。
二年生は本当書いてて楽しい学年です。何気に三郎次が左近以上にツンデレになればいいと思います(笑)
2011.5 竹中歩