どうしようもない私に天使が降りてきた



「しくじった……」
 少し気温が上がり始めた今日このごろ。
 私は休日にもかかわらず学校門前にいました。
「あはは。ジャージ忘れるとかあり得ない」
 本来なら昨日持って帰る筈だったジャージを学校の更衣室に忘れてしまい、今取りに来る羽目になっているのです。
 まぁ、私が悪いんですがね。
「確か九時開門だったと思ったんだけど」
 学校の大きな時計へと目をやると九時ジャストを示していた。
 そろそろ誰か来て門を開けてくれても良いようなもんだが。
「あ、誰か来た」
 こちらへ上下スウェット姿の男性が駆けてくる。見覚えがない人だ。
 しかし、学校の中から来ると言う事は関係者ではあるだろう。
「……あれぇ?」
「あ、おはようございます」
「おはようございます。君、早いねー」
 にっこりと笑うその顔はまだ成人男性と言うには少し幼く感じた。
 下手したら学生ではないのかと思うくらいに。
「えーと、部活か何かかな?」
「いえ、忘れ物を取りに来たんです」
「じゃ、事前許可は取ってないんだね? ならこの入門表にサイン下さい」
「入門表?」
 男性は回覧板などに使うような留め金の付いた板を渡してくる。
 そのこには入門表と大きく書かれており、名前や学年を書くスペースなどがあった。
「一応休みだから、どんな人が出入りしたか記録をつけるのが決まりなんだ。委員会とか部活とかは先生が事前に知らせてくれてるんだけど、君はしてないみたいだからね」
 ほう。そんなシステムがうちの学校にはあったのか。
 まぁ、考えてみたら休日に学校に来るなんて初めてだから、気付かなくて当然かもしれない。
 私は頷いてその入門表とやらに名前と学年を記入した。
「はーい。ありがとうー。二年のちゃんね。あ、出るときはこっちの出門表に名前を書いてね。決まりだから」
「わかりました」
 結構しっかりしたセキュリティしてたんだな、うちの学校。
 なんか平和な学校だから、あんまり気にした事無かったけど。
「そう言えば、あなたは事務員さんですか?」
「え? 僕? 僕はね『小松田秀作』。みんなは名字にさん付で読んでくれてるんだー。一応君の言うとおり事務員なんだけど、肩書は見習いかな?」
「小松田さんですね。よろしくお願いします。では、私はジャージを取りに行きますので」
「はーい。あ、もし鍵が掛ってて入れなかったら僕に言ってねー」
「わかりまし……」
 ブオーンッ!
 自分の声がけたたましい音で遮られた。一体何の音ですか?
 驚いて、自分の後ろからする音に目をやると、そこにあったのは大きなバイク。
 多分、レースとかに使う早さ重視のタイプだとは思う。この音はエンジンの音か。
「あ、利吉さん」
「おはようございます、小松田さん」
 バイクに乗っていた人はフルフェイスのヘルメットをはずして小松田さんと親しげに話をしていた。
 この人も、事務員さんかなんかだろうか?
「今日も視察でしたよね?」
「ええ。あと父の様子確認も一緒に」
 視察?
 と言う事は事務員ではないのか。そう言えば、入門表書いてるし。
 いったいこの人は誰なんだ? と考えていると、そのバイクの男性が目をこちらへと向ける。
「おや? 休日に生徒とは珍しいね」
「ど、どうも」
 バイクに乗ったまま笑顔を向けてくる男性。
 二十代前半くらいでまぶしい笑顔を持っている。何ともさわやかな人だ。
「この子はね、二年生のちゃんです。今から校舎に行くらしいですよー」
 ちょっ、小松田さん! なに個人情報漏らしちゃってるんですか!
 それじゃセキュリティしても意味ないじゃないですか!
 そんな突っ込みをしているうちに、そのライダーは私へと言葉をかけてくる。
「へー、じゃ、行先は一緒だね。私も校舎へ行くんだ」
「は、はぁ……」
「おっと。自己紹介がまだだったね。私は『山田利吉』。中等部の教師、山田伝蔵の息子だ」
「山田先生、ですか?」
 聞き覚えのない先生の名前に首を傾げた。
 残念ながら私の知っている中等部の先生は土井先生くらい。山田と言われても全く分からない。
「おや? 知らないかい?」
「はい」
「まぁ、担当でなければ知り合う事もないかもしれないね」
 担当以前の問題なんですけどね。
「そうだ、ちゃん。利吉さんに連れて行ってもらえば? 校舎まで」
「……は?」
「校舎、少し遠いでしょ? バイクの後ろに乗っけてもらえば?」
 確かに今日入ってきた門はいつもの門ではないため、校舎から遠い。でも、バイクに乗っけて貰うほどでもない。なので、丁重にお断りをする。それに、出会ったばかりの人のバイクに乗るなんて、失礼だと思ったから。
「お気遣いなく。急ぎの用ではないので徒歩で十分です。山田さんにも迷惑がかかりますから」
「私の事なら気にしなくても良い。後ろに人を乗せるのは慣れているんだ」
 それは遠回しに『恋人がいます』と言っているのですか?
 まぁ、この年齢の男性ならおかしくはないですが。
「あー、そう言えば前回は一年生の子たちに捕まってましたもんね。きり丸君とか」
「ええ。本当中学生、高校生の男の子はこの手の乗り物好きですから。あの時はさすがに疲れましたよ」
 あ、なんだ。そう言うことね。確かに男の子ってこう言うバイクとか好きそうだもんな。
「だから、はい」
 ぽんと山田さんは私の方にヘルメットを放り投げる。
「さぁ、乗って。あと私の事は利吉で良い」
 爽やかな笑顔がまぶしいです、お母さん。
 この人、絶対におばちゃん受けする顔だ。
 なんてことを思っているうちにお断りする時間もなく、私は後ろに半強制的に乗せられた。
 でも、考えてみたらすごい事かもしれない。バイクの後ろとか乗れる事なんてそんなにある事じゃないし。
 私は気を取り直して、貴重な体験を心に刻むことにした。
 その瞬間、バイクは物凄い音を立てて校舎の方へと走り出した。



「さぁ、着いたよ」
 本当にバイクの世界は凄かった。と言うか、早かった。
 いくら休日の学校とは言え、少しスピードを出し過ぎだと思う。
 でもまぁ、楽しかった。
「貴重な体験をありがとうございました……しかし、」
 私はそこで言葉を止める。
 だって、連れてこられた校舎、中等部なんですよ。高等部の校舎は物凄い勢いで通り過ぎました。
「あー、今更ですいません。私、高等部の方に用があるのでここで失礼します」
「え? 中に入らないのかい?」
「中等部ではないので、入る理由が見当たりません」
「え!? 高校生!?」
「はい、まぁ……一応」
 あぁ、やっぱりか。間違えられていたんですね。
 確かに小松田さんも『二年』としか言わなかったし。てことは、あの人も私を中等部と勘違いしているのだろうか? 後で訂正しておかねば。
「あー……ごめん。てっきり小松田さんと話し込んでいたから、中等部かと。あの人、中等部の事務員だから」
「いえいえ。良くあることなので。利吉さんは今からお仕事ですよね? 頑張ってください」
 視察と言うお仕事は良く分からないが、きっと難しいお仕事なんだと思う。
 これ以上迷惑はかけられない。
「ありがとう。本当にごめんね」
 そう言って、利吉さんは中等部の校舎へと消えて行った。
 そして、しばらくして『いい加減、一度家に帰ってください!』と言う利吉さんの声が聞こえたのは気のせいだったのだろうか?
 とりあえず私は気を取り直し、高等部の校舎を目指した。



「あー、良かった。鍵開いてて」
 幸いにも校舎のカギが開いていたため、校舎へは難なく侵入できた。
 そして職員室へ行き、更衣室のカギを借りてジャージを取り、鍵を返して今に至る。
「今度からは気をつけよう。休みの日まで学校には来たくない」
 基本、めんどくさい事はしたくないというのが人間と言うものではないだろうか?
 私ももちろんその一人である。
「さーて、帰る……のわっ!!」
 気が抜けた所為か、昇降口前にある階段を一段踏み外し、体制を前に崩す。
「あー、良かった……」
 あぶない、あぶない。とっさに手をついたからいいようなものの、手を付いていなかったら地面にダイブだった。
 それに、人もいなかったから恥かしい思いもせずに済んだし、本当良かった。
「今日はあんまり運が良くないのか……おっと、出血サービスだ」
 手の平に地味な痛みが走る。
 じんじんと言った小刻みな痛み。手をついたときに少し擦ったようだ。
「手洗えば問題ない、問題ない」
 これくらいのかすり傷なら大したことないだろう。保健室に行くまでもないし。それに、
「出来れば今日はもう校舎に戻りたくはないな」
 ふっと校舎を見上げる。
 その中からは時折大きな声が響いていた。
「……まさか、委員会が休日にもあるとはね」
 さっき校舎に入って気付いた。色んな教室から声や足音が聞こえてきたのだ。
 その大半が委員会の部屋。だから、ものすごい速さで私は用を済ませた。
「みんな大変だな……。お疲れ様です」
 他人事とばかりに頭を下げる。
 さて、手の平を洗って家路に就こう。
 そう思った時、不意に声をかけられた。

「だ、大丈夫ですか?」

 ふわふわとした少し色素の薄い髪。
 何か心配そうな、困っているような健気な表情。
 触ったら気持ちの良い事間違いなしの白い肌。
 そして、なぜか手に抱えられた救急箱。
 ……現代のナイチンゲールがそこにはいました。
「あの、大丈夫ですか? 手」
「え? あ、手?」
 その子は恐る恐る私の手を指さす。あぁ、少し血が出てたっけ。
「大丈夫、大丈夫。水で洗えば問題ないよ」
「でも、ちゃんと消毒しなくちゃダメです!」
 その子はふんわりとした印象とは対照的に強引に私の手を引き、手洗い場まで連れて行く。
 そして、ゆっくり優しく患部を洗い、持っていた消毒用のガーゼで水分を拭ってくれた。
 何? 何、この子? 物凄く良い子なんですけど!?
 制服ではなく、ジャージだけど、これは中等部のジャージ。
 てことは、後輩だな。
「えーっと、少し染みます……ごめんなさい」
 手洗い場から昇降口の階段へと場所を移し、そこへ座らせられる。
 本当に申し訳なさそうな顔をして、持っていた救急箱から消毒液やコットンなどを取り出し、丁寧に消毒してくれた。
 ……本当の意味で可愛いです、この子!
 本当、綿あめみたいな子だ。
「これで、大丈夫だと思います」
 手当てが終わった後、可愛らしい笑顔をこちらへと向けてくれた。
 ……ここに天使がいました、お母さん。
「あ、ありがとう……」
「いえ。出すぎた真似をしてしまってすみません。あ、絆創膏は汚れたら取り換えてくださいね。では」
 ぺこりとお辞儀をすると、いそいそと走って中等部校舎の方へと消えて行った。
「……はっ! 名前と学年!」
 あまりにもその子に見惚れていたせいで、何も聞いていなかった事に気付く。
 本当、まれにみる、
「守ってあげたくなるような少女だった……」
 後輩は可愛くて好き。
 でも、今の女の子は本当に花のように可愛かった。
 私が男なら、先ず告白するだろう。そんな少女だった。
「また、会えるかな……?」
 患部に貼られたお花模様のピンクの絆創膏。
 私はその場でしばらくそれを見ていました。




「あれ? お前も今日学校に来てたのか?」
「あ、藤内」
 制服姿の藤内と、廊下でばったり会う。
「まさか保健委員まで休日に来るとはね」
「あ、僕らは体育館で応急教室があったから出てきたんだ。風紀みたいに書類の整理とかじゃなくて」
「ま、どっちにしろお互い大変だな。そうだ、これお前に返さなきゃと思ってたんだ。持って来て置いて良かった」
 そう言って、藤内は薄い紫のノートを渡す。
 そのノートの名前表記の部分には『三反田数馬』と記されていた。
「今度の授業前で良かったのに」
「いや、それじゃお前が予習とかできなくなるだろう?」
「あー、僕は藤内ほど自主的には勉強しないから。でも、ありがとう。じゃ、僕は保健室に行くから」
「え? やっぱり委員会あるのか?」
「ううん。さっき高等部の玄関前で怪我してる女の子がいて手当てしたんだ。その時ガーゼ使い切っちゃったから補充しに」
 数馬は笑って救急箱を掲げる。
「はー、保健委員も大変だな。まぁ、お前も気をつけろよ? じゃ」
「うん、またね」
 二人はお互い自分が行くべき教室へと足を運ぶ。



 が出会った一人の中等部生徒。
 それが少女ではなく『少年』だと気づくのはもう少し後のお話です。






作者より
数馬は見た目的に女の子と間違えられれば良いと思い、こんなお話です。
そんでもって小松田さんと利吉さん登場。利吉さんは絶対にバイクでお願いしたい(笑)
2010.6 竹中歩